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華人財閥

●「郷に入れば郷に従え」というが、どうすれば郷に入ることが出来るかを教える人はあまりいない。
私は、「郷に入りたければ郷の歴史を知れ」という言葉を足したいと思う。その町の慣習や風俗をまねるだけでなく、その町がどのようにして出来てきたのかを知ることが郷に入るうえで大切なのではなかろうか。

●つい先日も「香港和僑会」におじゃましてきたばかりだが、現地の日本人経営者とお話ししていると、成功しておられる人ほど香港の歴史や地理をよくご存知である。
香港はもちろん、そこを割譲していた英国のことや、中国本土のことにも詳しい。
「へぇ、そうなんですか」とビックリするほどであり、「郷に入れば郷の歴史を知れ」と感じた次第。

●香港での会話によく登場する人物名がある。
彼らの多くは香港系財閥のオーナーの名であり、世界の富豪ランキングにも必ず登場する香港ドリーマーたちの名である。

たとえば、ロバート・コック氏(コングロマリットのケリー集団や、英字紙サウス・チャイナ・モーニングポストのオーナー)や、李兆基氏(デベロッパー)、郭三兄弟(デベロッパー)、「マカオのカジノ王」ことスタンレー・ホー氏の名である。

また、故人ではあるが海運王・包玉剛(YKパオ、ほう ぎょくこう)も香港成功者として偉大なビッグネームである。

●そんな中でもとびっきりの大物が李 嘉誠(リー カシン、長江実業集団オーナー)だろう。

米経済誌『フォーブス』が今年2月に発表した「2010年度の香港の長者番付トップ40」によれば、李 嘉誠氏の資産は1666億香港ドル(約1兆9225億円)でトップだった。昨年比でも30%資産を増やしている。

第二位は、李兆基氏の1482億香港ドル(約1兆7102億円)で、昨年から2倍以上資産を増やした。
第三位が、郭氏一族の1320億香港ドル(約1兆5232億円)だった。
資産ランキングでこの三氏はかなり肉薄しているが、話題の多さでは李 嘉誠氏がダントツの一番だろう。

●ちなみに世界の富豪ランキングのトップ3は次のとおり。

1位:カルロス・スリム(メキシコ、70歳、メディア)4兆3,335億円
2位:ビル・ゲイツ(アメリカ、54歳、PCソフト)4兆2930億円
3位:ウォーレン・バフェット(アメリカ、79歳、投資)3兆8070億円

日本の富豪ランキングで首位は、柳井正氏(ファーストリテイリング社長)がトップで、5,795億円。
次いでSANKYOの創業者・毒島邦雄氏の4,940億円、任天堂の山内溥相談役の4275億円、森トラストの森章社長の3,990億円、ソフバンクの孫正義氏の3,705億円と続く。

●現在の香港ドリーマーの多くが不動産開発によるものだが、1950年代から70年代にかけての香港は、今とは違って物作りの拠点といわれていた。
李 嘉誠(リー・カシン)を一躍香港ドリーマーの座に押し上げたのも製造業の経営である。しかも、プラスチックでできた造花の製造で財をなしているのだ。

●以下、『秘録 華人財閥』(西原哲也著、エヌエヌエー)を元にして李嘉誠の半生をみてみたい。

第二次世界大戦で日本軍が中国華南から広州一帯を占領した。広州生まれの李 嘉誠(1928年生れ)は当時中学生だったが、家族ともども戦火を逃れるため香港まで数十日かけて歩いて逃げたという。
ようやくの思いで逃げ延びた香港の町で、父は肺病で入院。長男だった李嘉誠は、学校の勉強帰りに父を看病するという二重生活を送る。

やがて、「失意不灰心」(ものごとがうまく行かなくても決して希望を失ってはいけない)を遺言にして、父は他界する。
長男だった李嘉誠は、父に「僕は(家族を守る)自信があります」と誓ったという。

●母は李嘉誠以下、四人の子どもを養うため朝から晩まで仕事を求めて歩くが見つからない。何も食べられない日もあった。遂に李嘉誠は家族を食べさせるために学校を辞める決断をする。

やがて、李嘉誠がようやく見つけてきた仕事は、中国式の茶店「茶楼」の給仕だった。
早朝からの仕事で決して遅刻できない。もし寝坊したら、その瞬間に仕事を失う。いつも時計の針を10分進めておくようにした。その癖は、巨富を得た今も直らないという。

<明日につづく>

★秘録華人財閥─日本を踏み台にした巨龍たち
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