●「もちろん僕は日本人ですよ。アメリカに渡って30年、バンコクに来てからも時間はたつけれど、気持ちはますます日本人です。でも、自分がどこで生活したいとか、どこに骨をうずめるかということには、まったくこだわりがありません。”人間(じんかん)いたるところ青山(せいざん)あり” ですからね」と秀丸社長。
●デューク・秀丸社長(仮名、48歳)は旅行会社「秀丸グループ」の総帥。
高校を卒業してすぐに、単身でニューヨークに渡った。当時 “レストラン王” とよばれていた有名な社長の自宅に居候しながら、レストランビジネスを学んだ。
●その後、ハワイへ遊びにいったときに旅行ビジネスに開眼。
ロス、シスコで旅行ビジネスをたちあげ、90年代後半にラスベガスに移転した。ここが秀丸社長の開運スポットだったようだ。
たくさんのライバル会社を尻目に急成長が始まった。「とことんお客を喜ばせる」という姿勢が評価されたのだろう。
ラスベガス旅行での現地オペレーションといえば彼の会社がトップブランドであり、二番手以下に大きく水をあけた。
●9/11事件やリーマンショックなど、幾度ものピンチをくぐり抜けながらも会社を成長させ、今期も最高益を更新しそうだという。
ラスベガスへの観光客動員は先月も過去最高人数を更新し、絶好調。
●「ラスベガスに来て成功し、少しマンネリ感が出はじめたかなぁというタイミングで武沢さんのメルマガに出会った。そのおかげで僕自身、もう一勝負しようと決心した。その場所としてアジアに目をつけた。今ではラスベガスをスタッフに任せて、こうしてアジアを転戦する日々ですよ」と笑う秀丸社長。
●数年前だったと思う。秀丸社長から頂戴したメールがきっかでラスベガスを訪問した私。
一週間の旅の全時間をご一緒し、すっかり意気投合した。その半年後、私がチンタオ(中国)に出張することになったとき、今度は秀丸社長がそれに同行された。その出張で氏もすっかりアジアの魅力にとりつかれたようである。
●今はアジアビジネスの拠点をバンコクに置き、今後の秀丸グループの世界戦略を練っている。
日本法人は恵比寿にあり、年に数回程度、来日する。
ときどきご飯をご一緒するのだが、今年の春、二人で寿司をつまみに行った。どんな会話の流れだったかは覚えていないが、私はこんな質問をした。
「秀丸さん、あなたはこれから何人として生きていくのですか?アメリカ人、日本人、それともタイ人?」
その返事が冒頭の言葉である。
●「もちろん日本人ですよ。かと言って、僕はどこで生活し、どこで死ぬことになっても悔いはありません。よく親の死に目に会えないとか、自宅を長期間あけると妻子が寂しがるとか言いますが、男子たる者、そういうことにこだわっていては思いきった仕事ができないと思います。誰がなんと言おうが、人間、いたるところ青山あり、というではありませんか」
●「なるほど、月性ですね」と私。
幕末の長州に生きた僧・月性(げっしょう)の言葉である。
・・・
「まさに東遊(とうゆう)せんとして壁に題す
男児志を立てて郷関を出ず
学もし成る無くんばまたかえらず
骨をうずむる何ぞ期せん墳墓の地
人間(じんかん)到るところ青山(せいざん)あり」
・・・
●青山(せいざん)とは、墓地のことをいう。
詩の意味は、「故郷ばかりが墳墓の地ではない、人間が活動し、骨をうずめる場所はどこにでもある。だから、大望を達するためには故郷を出ておおいに活動すべきである」となる。
この言葉に触発されて脱藩した志士たちも多かろう。
●「武沢さん、月性さんの展示館に行きませんか」と秀丸社長。
山口県の柳井市にあるという。
「ええ、ま~、そのうちに」とあいまいな返事をする私に向かって、こんな追い打ちの言葉がつづいた。
「月性さんは、あの吉田松陰先生にも大きな影響を与えています。幕末の尊皇攘夷思想のさきがけとなった僧であり、多くの志士たちに影響をあたえました。松陰さんの遺言『留魂録』(りゅうこんろく)にも月性の名がみられるほどの人物なんですよ。ご存知ないのですか?」
武沢「え、そうなんですか?そんなすごい方とは知らなかった。どうしてラスベガスやバンコクにいるあなたの方が詳しいの?」
秀丸「日本人ですから」
武「では、さっそく日程を決めましょう。せっかくなので、月性展示館と松下村塾もまわり、津和野を見物してからもどりませんか。あ、そうだ、岩国の錦帯橋も見てみたい」
秀「いいですねえ、是非。一回の旅でたくさんのWish Listを消しましょうよ」
●そんな会話で実現したのが、先週末の長州旅行である。
柳井の月性(げっしょう)展示館を見て、私も雅号をもちたくなった。
しかも「性狂」(せいきょう)という風変わりな号を持ちたくなった。
決して変な意味ではない。明日につづく。