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世界の金融市場

●昨夜は中部和僑会の定例ミーティングが開催された。中部にも最近、勢いが出てきて、他地区の和僑会に負けない盛り上がりを見せていてこころづよい。

今回は民主党の磯谷香代子・衆議院議員も駆けつけて下さり、和僑の面々にむけてご挨拶いただいた。

●第一部の講師は香港上海銀行プライベートバンク名古屋オフィスの川鍋部長の講演で、テーマは「世界の金融市場動向について」。

最近、円相場がなぜ急激に上昇しているのか、人民元やドルなど、世界の金融市場はどのように動いているのかを知り、企業や個人の投資家がそれにどう処すべきなのかというお話しをうかがった。
演題からして、かたくなりそうなテーマであるにもかかわらず、大変わかりやすく目が見開かされる思いがした。

●第二部の講師は私で、「和僑会の生い立ちとこれから」というテーマでお話しした。今年6月に閣議決定された「中小企業憲章」の要点を確認しつつ、その中で和僑会が担おうとしている活動領域についてスピーチした。起業家精神の涵養と海外進出が鍵をにぎるであろうという点を強調した。

●今日のメルマガでは、第一部講師の川鍋部長のスピーチを元に、ネット情報でそれを補強しつつ書いてみたい。

まず、「香港上海銀行」について。
通称の「HSBC」は、The Hongkong and Shanghai Banking Corporation
Limited の略である。

本社はてっきり香港か上海だと思っていたがイギリス(ロンドン)である。
金融グループ「HSBCホールディングス」のグループ銀行である。香港に本店を置き、香港ドルの発券銀行の一つとなっているほど信用格付けも高い。

●今から145年前の1865年にスコットランド人のトーマス・サザーランドによって、アヘン戦争後にイギリス(大英帝国)の植民地となった香港で創設された。

その一ヵ月後にはイギリスの共同租界が置かれていた清の上海で営業を開始している。
当時は香港に本社を置き、主に在華外国企業(サッスーン洋行、ジャーディン・マセソン商会、デント商会などのアヘン貿易商社)の貿易金融を扱ったほか、通貨の発行も当時から行っていた。

●日本ではその翌年の1866年(慶応2年)に横浜で日本支店を設立し、その後、大阪や神戸、長崎にも支店を開設していった。

ペリーの黒船以後、日米和親条約・日米修好通商条約が締結され、寒村だった横浜が開港された。その後、外国人が大挙して横浜にやってきて各国の商館が立ちならびはじめたころの開業である。
河井継之助がスイス人・ファブルブランドと接触し、長岡藩の兵器購入を秘密裏にすすめていたころのことでもある。

●維新成立後、香港上海銀行は明治新政府の依頼で貿易金融政策の顧問業務や造幣業務に協力した。
また、日本で設立された最初の近代的銀行として、東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の前身である横浜正金銀行がモデルにしたという。
つまり、日本にはずいぶんなじみが深い銀行なのである。

●ところで今、円高が加速して1ドル84円台に来ている。
しかも円が強いのはドルに対してだけでなく、ユーロにもポンドにも人民元に対しても強い。

自国の通貨が強いということは喜ばしいことで、特に仕入れや買い物や旅行をする上では大いにそのメリットを享受できる。
たとえば、一万円を両替すれば、去年までは1000ドルもらえたのに、今年は1100ドルもらえるということが起きる。

●だが、外国にものを売ろうとした場合、円高はデメリットしかない。
1万ドルの車を輸出すれば、去年までは100万円入金があったのに、今年は90万円にしかならない。自国の通貨が高いということは輸出する上ではデメリットなのだ。だから、極端な自国通貨の上昇は通貨戦争の敗北と見なされる。
中国政府が人民元の相場を少しでも安いままにしておこうと躍起になるのはそうした事情による。
安ければ良いのかというとそうでもなく、一番良いのはほど良いところで安定していることだろう。

●では、円相場の歴史はかつてどうであったか。

1949(昭和24年)年から1971(昭和46年)年までは、1ドル360円の固定相場だった。戦勝国アメリカは、戦後の日本がいち早く経済復興することが自国にメリットがあると考え、思いきった円安に誘導したというべきだろう。
1971年(昭和46年)からは1ドル308円の固定相場になり、1973年(昭和48年)2月から変動相場制に移行した。その後、何度かの上下波動はあったものの、基調はずっと円高が続いている。

●ではここで問題。

1949年(昭和24年)から1ドル360円になったが、その10年前の1939年(昭和14年)は1ドル幾らだったか想像がつくだろうか?その間に戦争を挟んでいる。
答えを知ってきっとビックリされるはずだ。

それは、1ドル

4.26円

である。

この金額をみれば、今の84円なんて水準はまだまだ安いものだとなる。
昭和14年当時の産業構造は、今ほど輸出依存経済ではなく、これでも問題なかったのだろう。

●ところでHSBC名古屋の川鍋部長はニューヨークと香港で駐在してこられた。そうした経験から、香港の資産家はお金をどのように管理するのか聞いてみたら、通貨分散してリスクヘッジをしている人が多いという。
つまり、香港ドル、ポンド、米ドル、ユーロという具合に通貨を分散するそうだ。最近はそれに人民元が加わるのだろう。
為替は株式と違って全面高・全面安になることがない。必ず相対的なものであるから、通貨を分散して持っていれば、少なくとも為替差損が発生することはない。

日本人にもそうした国際金融を生き抜く知恵を求められる時代がやって来ているのだ。