●「加害行為は一気にやり、たとえ小さなことでもくり返すな。くり返さねば忘れられる。恩恵は小出しに、長期にわたって絶えず行い、印象を深めよ」と説いたのはイタリア・ルネッサンス期の政治思想家マキャベリである。
●1998年当時で4年連続赤字で無配。売上げの半分に匹敵する70億円の借金を抱え、倒産の危機にあった「はとバス」の社長に就任した宮端清次社長も、”加害行為”は一気にやった。
以下、敬称略。
●リストラをしない代わりに全社員で痛みを分け合おうと、宮端は社長3割、役員2割、社員1割という全社員の賃金カットを断行した。
しかも、60歳だった定年を管理職に関しては55歳に早めた。
●そして高らかにこう宣言した。
「1年で黒字にならなかったら、辞める」
何たる潔さ。
何かを恐れるようにして口をつぐむ相撲協会の幹部に見習ってほしい進退の潔さではないか。
●社長を引き受ける決心を固め、銀行をまわった宮端は、「来年の6月の決算時に黒字にできなければ責任をとって社長を辞め、役員も総退陣してもらいます」と宣言した。自ら退路を断ってしまったわけだ。
●それだけの短期間に黒字化できる成算があったわけではない。
だが、1年でできないものは4年かけてもできないと宮端は考えた。
通常の再建計画を見ると、3年や5年かけて復興をめざすものが多いが、初年度で計画を達成できなかった企業はほとんど再建できていない。
はとバスも初年度で黒字にしないと再建はできないと考えた。
●「リーダーは、あえて啖呵を切らねばならないときがある」と宮端。
トップのインパクトある宣言が社員を本気にさせた。
そんな宮端が社長就任早々、大株主を回ったとき失敗をやらかした。
「ところで、はとバスさんの経営方針は?」と株主に質問され、しどろもどろになってしまったのだ。
はとバスには代々、立派な社是・社訓・経営理念があり、それを宮端は手帳に書き写してあったのだが、暗記していなかった。
いや、暗記できるような簡単な方針ではなかった。まさかカンニングペーパーを開くわけにもいかず、結局しどろもどろに回答せざるを得なかったという。
●どんな立派な社是・社訓・理念であったとしても、社長や社員がそれをすぐに覚えられないようなものであれば、日頃、実行できるわけがない。そこで宮端は、役員全員で経営方針を作り直すことにした。
それがこちら。
1.お客様第一主義
2.現場重点主義
3.収益確保至上主義
●また、「はとバス」の組織図もピラミッド型を逆さにし、一番上にお客様、次に乗務員、一番下を社長にした。
そして、社長室の廃止と社長”専用車”を”共有車”に変更した。乗務員の方が社長より上なのだから、乗務員控え室も日当たりの良いきれいな部屋に変えた。
●さらに、社員のやる気を殺いでいるものを減らすために「お帰り箱」を設置した。一日の乗務を終えて「お帰りなさい。お疲れさま」という意味と、「社長に直訴すれば必ず返事が返ってくる」という期待をこめて社員がそう名づけた社長直通の投書箱である。
署名がある意見には社長が本人に直接返事を書き、匿名の場合には社長の原稿をもとに所轄部長の意見を添えて掲示板に貼りだした。
●最初、「お帰り箱」への投書内容は、「あの運転士は運転が乱暴」「セクハラまがいのことをいわれた」といったバスガイドさんの訴えや、「合理化を強いられて辛い」といった会社への不満が多かったという。
だが、半年を過ぎたあたりから建設的な意見が集まりだした。
不平を言っていた同じ社員から、「ああしてはどうか」「こうしたい」といった提案が上がりだしたのだ。
●こうして、瀕死の状態にあった「はとバス」は、矢継ぎ早の対策が功を奏しV字回復を成し遂げた。
4年連続赤字だった会社がなんと、初年度から3億6300万円もの経常利益をたたき出したのだ。
初年度黒字によって社員に自信と誇りが生まれ、モティベーションもアップして「はとバス」はわずか4年で累積赤字を一掃し、復配するにいたる。
●ことの経緯は『はとバスをV字回復させた社長の習慣』(宮端清次著、祥伝社)に詳しい。
私もこの本を読んでたくさん線を引いた。
むずかしい理論や高邁な精神はなにも書かれていない。そこにあるのは社長の本気さを証明する社長の仕事術だけである。
だが、それこそが業績V字回復のパスポートなのかもしれないと気づかされた。
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