●嫉妬もあるのか、イケメン俳優というのが好きになれない。ましてや、そのイケメンがNHK大河ドラマで主人公をやるなどということは、言語道断。
視聴率ほしさのNHKの魂胆が丸みえで許せない。だから、あれだけ大好きだった大河ドラマをバッタリ見なくなって久しい。もちろん今年の『龍馬伝』も同様だ。
★歴代の大河ドラマ http://www9.nhk.or.jp/taiga/
●だが、そんな考えも修正すべき時がきたようだ。
イケメンを売りにしていた役者の中にも、本人の努力を認めるべき人がいるということ。今年、龍馬を演じている福山雅治もその一人かもしれない。
あるいは主役を支える周囲の役者が個性的でおもしろいのか、昨夜、何気なく見てしまった『龍馬伝』が悔しいほどおもしろい!
「今の大河はこんなに面白いんだ」と猛省し、遅まきながら来週から毎回観ようと決心した。
●昨夜の放送は、龍馬(福山雅治)が初めて勝海舟(武田鉄矢)に会いに行く場面。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で描かれた有名なこの場面は次のようだった。
・・・剣術道場の親友・千葉重吉青年に「勝は開国を唱えていてけしからん。攘夷断行だ、今から勝に会いにいって斬る」とたきつけられ、竜馬も斬る覚悟で同行する。
だが、表れた勝は大人物で、地球儀を見せて世界情勢を語り、憂国の志を彼らに説く。
斬るつもりでいた二人だが、勝の弁舌を聞いて感服し、竜馬は土下座して勝に弟子入りを乞う。機先をそがれた千葉重吉は斬るタイミングを逸し「竜さん、ひどいよ~」と言いながら二人で家路につく。
・・・
それが世間にもっとも知られている龍馬と勝の出会いの場面。
●だが『龍馬伝』は違っていた。
圧倒されるほどの大人物と期待して龍馬は一人で勝に会いに行く。松平の殿様の紹介だ。
だが、意外や意外、まったく得るものがない。むしろ、勝は変な人物で、「これが本当に噂の勝なのか?」と失望して帰る羽目になる龍馬。
それは勝だって一緒だった。
周囲の仲間から、「龍馬はおもしろい男」とさんざん聞かされていて対面を心待ちにしていたのだが、どこもおもしろくない。
業を煮やし、龍馬に向かって「おもしろいのをひとつ見せてくれ」とせがむが、途方にくれるしかない龍馬。二人は互いに失望して別れる。
●ドラマチックな演出は司馬さんの『竜馬がゆく』に軍配があがるが、リアリティという面では『龍馬伝』の方だろう。なぜなら、人と人の出会いの多くがそうしたさりげないものだから。
ひと目会った瞬間に運命的な何かを感じる出会いもあるのだろうが、圧倒的に多いのは、さりげない出会いの方ではなかろうか。
●今親しくしている友人や尊敬している師との初対面を思い出してみよう。9割以上が普通の出会いのはず。いや、普通以下だったかもしれない。
●本物の人物の第一印象は意外にかっこ悪いことがある。ある年齢までは本人も、「かっこよく思われよう」「すごい人とおもわれたい」という気負いがあるのだろう。だからウンチクを語ったり、気合いをみなぎらせて相手にスキを与えない。だが、どこかでそんな気負いがなくなるときがくる。
●「なんだ、会ってみたら普通のオッサンじゃないか」と言われても構わなくなる。「単なるエロジジイだな」でも悪くない。いい年して、ふつうのオッサン、単なるエロジジイでいられることが既にすごいのだ。
●龍馬が勝に失望し、勝が龍馬に失望したように、初対面では評判以下だって良い。
だが、結局いつまでもエロジジイではつまらない。会えば会うほど値打ちが分かってくるほど奥が深く、進化する大人になりたいものだ。
●結局、失望したはずの龍馬と勝がすぐに再開しているのはなぜか。
そこがポイントだ。
言葉にはならない部分でなにか引き寄せ合うものが互いにあったはずだ。第六感というやつで、その第六感が当たるかどうかは、二度目か三度目の対面時に鍵がある。
そこですごく相手に感心したり、認めざるを得ない実績があったりすると尊敬や敬愛の念が生まれる。
●だから、今日の結論:
初対面だからと言って必要以上に自分を大きく見せようと力んではうまくいかない。初対面でも自然体が一番。だが、自分が何者であって、何を考えているのかはいつでも言えるようにしておいて、時と場合に応じてそれをスパッと披露しよう。