●今年は全員が平成生まれの「成人式」だったという。
一年一年はあまり大きな差がないが、10年前、30年前、50年前に比べれば、新成人の体つきから顔つき、性格にいたるまでずいぶん変わってきた。
若者全般に「頼りない」とか「情けない」と感じることもあるが、私も含めた大人の行動だって、若者に負けないほど情けないことがある。
●民主党・小沢幹事長の対応をみていても、大人として実に情けないなぁと思う。
「秘書逮捕」という衝撃のとき、どのように対応するかが当事者、管理責任者としての真骨頂を見せるべきとき。
なのに、捜査や取材から逃げ回り、逃げ切れなくなったときには、「不当捜査」と声を大にして逆ギレする。それを一国の総理が「応援したい。断固たたかってほしい」と応援する。これはどうみても変だ。
●本当に戦いたいのならば、手順として身の潔白を証明してから検察と戦うべきだ。なにも証明せずに「戦う!」などと叫ぶから疑いが深まるばかりだ。
一国の政党として、こうしたリーダーを自浄できるかどうかが民主党の、いや、日本の政治の明日を左右する。
●賢者は何ごともありのままを受容し、決してじたばたしないものである。
江戸時代、白隠(はくいん)禅師という立派な指導者がいた。
白隠は駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)出身。その生涯で三十六回の悟りを得たといわれ、当時すたれていた臨済宗をみごとに復興させたことから、臨済宗中興の祖といわれる。
●「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまでいわれた白隠。
そんな白隠にとんでもない濡れ衣を着せられる事件が起きている。
ある日のこと、白隠の寺の近くに住む独身の娘が妊娠した。その親はひどく怒った。はじめのうちは、娘はおなかの子の父の名を明かそうとしなかったが、追い詰められて遂に明かした。それは「白隠」だった。
激怒した両親は白隠をはげしく批判した。
白隠はそれをきいて、ただ、「ほぉ、そうか」と応えるだけだった。
●やがて娘は出産し、白隠がそれを引き取って育てた。このうわさはあっという間に近隣に広がり、白隠の評判は地におちた。
だが、白隠はそのことをあまり気にかけず、いつものように生活し、子供の面倒もよくみた。
●一年後、娘は耐えかねて真実を告白した。赤ちゃんの本当の父親は市場で働く青年だと。
娘の両親はおどろき、すぐに白隠のもとに向かってその話を告げた。
長々と謝り、白隠の許しを乞い、「子供を連れ帰りたい」と言った。
白隠は子供をゆずり渡しながらこう言った。
「ほぉ、そうか」。
●自分の身の回りに好ましいことが起きても、好ましくないことが起きても「ほぉ、そうか」。
自分の評判が上がることでも下がることでも「ほぉ、そうか」。本当のことでもウソのことでも「ほぉ、そうか」。
もちろん白隠は出家した身である。利害得失に生きる政治家や経営者とは別次元の人だと言ってしまえばそうかもしれない。だが、私たちもこの白隠の態度に学ぶことはあるはずだ。
●自分自身や自分が所属する組織の損得を優先しようとするあまり、保身に走って詭弁を弄するようになれば、すでにリーダーとして破綻している。
小沢幹事長はきっと実力のある政治家なのだろう。だが、日本の将来を思うのであれば、「ほぉ、そうか」と退場すべきだし、再起したければ、もう一度、人間力の修行を積んで出直してほしい。それが日本のためだ。
・立派な政治家が増えれば、立派な国民が増える。
・立派な大人が増えれば、立派な子供が増える。
・立派な社長が増えれば、立派な社員が増える。
・立派な先生が増えれば、立派な生徒が増える。
・立派な親が増えれば、立派な子が増える。
「立派」という言葉を「正直」「素直」「明るい」を入れてもよい。
その反対に、「ウソが多い」「不誠実」「暗い」と入れても通用する。
社会や会社とはそういうものだと思う。