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“おもしろい” 社長になる

●マスコミは竹下登・元総理大臣の発言を「言語明瞭、意味不明」と評した。一語一語の発言は聞き取りやすく、意味も明解なのに、話を通して聞くと結論が分からないからである。

●たとえば、記者から「自民党らしい政治とは?」と問われたとき、こう返答した。

「まさに自民党らしさは自民党らしさ。すなわち、いかにも国民政党として皆様から評価いただけるようなことである」

これでは質問の答えになっていないし、主語・述語の関係も心許ない。

またある年の臨時国会のテーマを聞かれた時は、「○○法の成立です」と言いたいのを押さえてこう語った。
「いま、常識的に考えて○○法の問題などが存在していることは、私の常識の中にございます」

こうした発言に連日泣かされたのは、それを英訳する担当者だったというのもうなずける。

●では、竹下登は話が下手くそな人かというとそうではない。なぜなら彼は早稲田大学在学中から「雄弁会」に所属し弁論をバリバリに磨いてきたからだ。

ちなみにこの会の出身者は、竹下以外に小渕恵三、森喜朗、海部俊樹、青木幹雄、深谷隆司、額賀福志郎、渡部恒三、三塚博など、そうそうたる政治家がいる。

●本来は「言語明瞭、意味も明瞭」の竹下が、なぜ意味不明発言をするようになったのか。実はそれが竹下の哲学からくる「進化」だったようだ。ダーウィンのいうあの「進化」である。

●『竹下登回顧録』のなかで、自らの政治姿勢を「政治とはハーモナイゼーション(調整力)である」と語っている。
ハーモナイゼーションするためには、意味不明なことを話しておかないと他の人に迷惑をかけると思っての竹下流気配り、いや、処世術であるとも言えそうだ。

●理念やビジョンを指し示すリーダー型ではなく、あくまで関係者の利害を調整し、根回しし、最大公約数的な結論を見いだす政治を志した竹下。それぞまさしくマネージャー型政治家の面目躍如か。

●彼が活躍した時代が、リーダー型よりもマネージャー型を欲したのかもしれない。
あるいは「自眠党」(ハマコーこと浜田幸一議員の言葉)とも言われた政党そのものが、リーダー型指導者を持つことを嫌っていたのも理由の一つだろう。

●本来、リーダーシップを最も発揮すべき総理大臣が意味不明なことを言ったりやったりしていると国力は低下する。
もとより竹下元総理ひとりが悪いなどとは思わないが、一般的にみて意味不明な発言をくりかえす指導者のもとでは組織が衰弱するのが当たり前なのだ。

●それは政治にかぎった話ではなく、会社しかり、である。
社長がリーダーシップを発揮するとはどういうことか。強い口調で話せとか、社員に相談せずに一人で決めろ、などの表面的なことではない。
それらのことは社長の哲学と個性にあわせてやれば良いと思うが、いずれの場合でも話の内容が社員からみて「おもしろい」ものでなければならないと思うのだ。

●「おもしろい話」ができるのがリーダーシップがとれる社長の条件である。
ここで言う「おもしろい」とは、「笑える」という意味ではなく「内容が興味深い」という意味である。
そうした意味で、おもしろく話せる(書ける)リーダーになろうと申し上げたい。

●作家の井上ひさし氏は、小説のあり方についてこう述べている。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことをおもしろく書く」のが小説家の心構えである。

その言葉を拝借して武沢流にアレンジすれば、

むずかしいことをむずかしく話すのは三流社長
むずかしいことをやさしく話すのは二流社長
やさしいことを深く話すのは一流社長
深いことをおもしろく話すのが超一流社長

となる。

社長たる者「おもしろい」話し手、書き手でありたいものだ。