●知っているつもりで知らないことがまだまだたくさんあるもの。
香川県では、童話『桃太郎』に登場する桃太郎は女の子だった、とする説があるそうだ。
生まれてきた女の子があまりにも可愛らしいので鬼にさらわれないようにそう名づけたという。香川の知人にそれを伝えたら「そんな話は聞いたことがない」というが、この週末に高松へ行くので現地でそのあたりを聞いてみたいと思う。
●また、私たちが読み聞かされた『桃太郎』は、おばあさんが桃を切ったところ、桃の中から生まれてきたことになっているが、明治初期までの子供たちにはまったく別のことを教えてきたとか。
●「ウィキペディア(Wikipedia)」にはこうある。
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明治時代初期までは桃を食べて若返ったお爺さんとお婆さんの間に桃太郎が生まれたという回春型の話の方が主流であった。
(中略)
明治20年に国定教科書に採用される際にほぼ現在の形のものを掲載して以降、これが定着した。
桃太郎の姿が、日の丸の鉢巻に陣羽織、幟を立てた姿になり、犬や鳥、猿が「家来」になったのも明治時代からである。それまでは戦装束などしておらず、動物達も道連れであって、上下関係などはない。
明治の国家体制に伴い、周辺国を従えた勇ましい日本国の象徴にされたのかもしれない。
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●おじいさんとおばあさんが桃を食べて若返り、子供が生まれたので桃太郎と名づけた。そんな”回春型”のいったいどこがまずいのだろう?
むしろ桃の中から子供が生まれる方がよほどまずいような気もするが、ここではそれを問題にしない。
●「花咲かじいさん」の物語をご存知だろうか。こちらも教訓に満ちた物語なのだが、念のため簡単にあらすじを確認しよう。
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ある日、とても心優しい老夫婦が一匹の白い仔犬を拾ってきました。
そして「ぽち」と名づけ、わが子同然にかわいがってやりました。
そんなある日、「ぽち」は畑の土を前足で掘りながら「ここ掘れワンワン」と鳴き始めました。驚いたおじいさんがそこを掘ってみると、土の中から金貨(大判・小判)がザクザク掘り出され、老夫婦は喜んで近所にも振る舞いました。
財宝を独り占めしようと企んだ隣人夫婦は「ぽち」を連れ去り、財宝を探させようと虐待します。そして「ぽち」が鳴いた場所を掘ってみたら、ガラクタ(欠けた瀬戸物やゲテモノなど)がたくさん出てきました。逆上した隣人は「ぽち」を殺し、飼い主夫婦にも悪口を言いました。
嘆きかなしんだ優しい夫妻は、「ぽち」の亡きがらを返してもらい、庭に埋めてお墓を作ってやりました。その墓を守るために木を植えたところ、やがてその木が大きくなりました。
ある日、おじいさんの夢のなかに「ぽち」が現れ、木から臼を作るようにと言いました。
翌朝、夫婦が木を切って臼を作りました。その臼でお餅をつくと、今度は餅のなかから金銀財宝がザクザクとあふれ出るようになりました。
再び隣人夫婦がやってきてその臼を借り受けますが、今度も出てくるのは汚物ばかり。怒りくるった隣人は、臼を叩き割り燃やしてしまいました。
夫婦は悲しみ、臼を燃やした灰を返してもらって大事に供養しますが、再び「ぽち」が夢に出てきて、桜の枯れ木に灰をまいてほしいと頼みます。その言葉に従ったところ枯れ木だった桜に花が咲き、みごとな満開になりました。そこをたまたま通りがかった大名が感動して老人をほめ、ご褒美をくれました。
隣人夫婦もその灰をもらってまねをしましたが、今度は花が咲くどころか大名の目に灰が入り、無礼をとがめられて隣人は罰を受けました。
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●さて、あなたは経営者としてこの童話をどう読み砕く?
無数に作られてきた童話のなかからなぜこれらの物語が生き残っているのか。そのメッセージを、今を生きる経営者の立場で解釈してみよう。
●私は、老夫婦は経営者。「ぽち」は優秀な人材と読む。
「良い人材さえ来てくれれば」と思っている経営者が多いが、人材も誰と組むかによってまるで別人のようなパフォーマンスになる。
あなたは良いおじいさんか、悪いおじいさんか、ということだ。
●そのほか、たくさんの解釈ができると思う。
どれだけたくさんの奇想天外な解釈ができるか。それがアイデア出しの訓練になるはずだ。ビジネスのアイデアに行きづまったら、一度社内で童話解釈をもとにした話題をしてみてはいかがだろう。