未分類

あんさん、夢なかろう?

●障害児をもった親の中には、「うちの子を人目に触れさせたくない」という思いから、わが子を家の中に閉じこめがちになることがあるという。
その気持ちも分かる気がするが、結果的にそれが発育を妨げることにもなっていると渡辺知子さん。

●「私たちは奇跡的な命を生きている」と題して月刊『致知』2009年3月号で紹介された彼女の経歴は次のとおり。

・・・
福岡県生まれ。小学校5年生のとき難病である紫斑病を発症し、20歳までの命と宣告される。病を忘れたい一心で音楽に打ち込み、高校1年でエレクトーンコンクール世界グランプリに輝く。
その後奇跡的に病が完治し、全国で音楽活動を続けていた33才のとき、くも膜下出血で倒れる。
幸い命は取りとめたが、「しゃべれない」「物をにぎれない」。一度はIQも3歳児にまで低下したが、懸命のリハビリで再起を果たす。
「ステージに立ちたい」の想いでふたたび奇跡を呼んで、各地で音楽活動を精力的に展開している。
著書に『音楽で心のバリアフリーを』(海鳥社)
→ http://www.amazon.co.jp/dp/4874154719/
・・・

●リハビリに真剣になれたのは夢があったから。
だが二度目の大病で入院したときには、その夢も失いかけていた知子さん。手術で髪の毛も剃られ、自分でトイレにもいけない。なにひとつ自力ではできない。そんな自分がイヤで、いつも医師や看護師に、「なんで助けたんね」とグチを言っていたという。

●あるとき、いつもリハビリ室で一緒になるおじいちゃんが知子に話しかけてきた。
彼は脳内出血で入院し、歩くことも話すことも不自由でリハビリに取り組んでいた。そんな彼が33才の知子に向かって、「あんさん、夢なかろう?」という。「私にあるわけなかろうが」と答えると「つまらんたい。医者の薬よりも夢のほうが効くんばい。わしには夢がある。大きな夢があるたい」
「どげんな夢?」
「わしの夢はな、もう一度この足で立って歩いてな、孫の手を引いて散歩することばい」
●孫の手を引いて散歩したいがために懸命にリハビリするおじいちゃん。自分はなんて甘えているのか、おじいちゃんの言葉を聞いて全身に電流が走った知子。
おじいちゃんは知子に言う。「ほら、あんたも夢を言うてみい。皆、あんたの夢を待っとるばい」と周囲の看護師をみまわす。
知子は目の前のポールを握って立ち上がり、そのとき思っていたことを口走った。
「私の夢は、人の手を借りずに自分ひとりでおしっこすること」

その夢が彼女を救った。

●音楽活動を通して生きる喜びを人々に与えたい。それが彼女の夢になり、やがて生きる使命になった。
障害者たちを預かって音楽指導するのもその一環だし、そのプロセスでは安易な妥協はしない。生まれて18年間一度もしゃべれなかった青年に会ったときも、「彼がしゃべれないはずはない。声帯があるんだから」と信じた。

●「健常な子どもであれば、練習するたびに一段一段と階段をのぼるが、障害者の場合は一段すらものぼれない。それは紙一枚くらいの目にみえない進歩なのかもしれない。でもこちらが信じてあきらめなければ、紙一枚の進歩が一年で365枚の束になる。それはこれぐらいの厚みになるのよ」と指を広げる知子さん。

●しゃべったことがない青年が音楽会のステージで、立派に楽器を演奏し、そのあと自己紹介してみせて周囲をあっと驚かせた。
両親も学校の先生も見に来ていたが、みな「信じられない」という表情でみている。

●コンサートが終わり、楽屋を訪ねてきた両親はひたすら彼を抱きしめた。そして、息子を支援してくれた施設の関係者にあらためてお礼を述べた。

●「先生、ほんとうにありがとうございました。うちの息子がしゃべれるようになるなんて、今でも信じられません」と涙ぐむ親。

「あんた、何言うとね。親が信じてやらんで誰が信じるね」

「ですけど、福岡で一番大きな病院の先生が”この子はしゃべれん”と言いなさった」

「ばかかね。あんさんは病院の先生と自分の息子とどっちを信じるんね?うちに来るまで親のあんたが息子を見捨てとったんじゃい。ちゃんと信じてやらんとね」

すこし荒っぽい言い方にきこえるが、言い方に愛がある。子ども達の能力を信じてやまない指導者の熱い姿勢が伝わってくるのだ。
そのやりとりを聞くと、身体に障害はなくとも心に障害をもった大人たちのほうが多いのかもしれないと感じた。

●たまに心ない人たちから「障害者を見せ物のようにしている」と言われたこともあるという。
そんなとき知子さんは、「そうよ見せ物よ。見せ物のなにが悪いの?私も障害者もすすんで見せ物になることで人々に生きる喜びを伝えられたら本望よ」と答えるそうだ。

●「障害は個性の一部」と知子さんは言うが、今回、あらためて「障害」ってなんだろうと考えさせられた。

告白するが、私は日曜日の夕方、このコンサートに出かけるときまで気が進まなかった。それは、障害をもった気の毒な人たちが真剣にがんばってきて、その成果を発表する会なんだろうと少し見下ろしていたからだ。

●午後6時きっかりに始まった尾張旭のコンサート。私はそれからの2時間の間、ずっと後悔する羽目になった。思い違いもはなはだしかった。
本場ニューヨークのブロードウェイで見たミュージカルに勝るとも劣らない感動のステージだった。

まずプロの演奏を生できく迫力。なにしろ世界一をとったエレクトーン奏者だし、その歌声は伸びやかで澄んでいて美しい。
ご主人のオカリナやフルート、篠笛も心に響いてすばらしかった。
吉岡さんのギターや津軽三味線はいかにもプロフェッショナルでさすが。ダウン症の大輔君のたいこは迫力満点だし実にカッコ良かった。
リハーサルでは失敗しまくりの演奏が本番ではみごと成功したときの彼の笑顔は混じりっけなしのピュアなもので、こちらの胸を打った。

●「なぜ一人で来ちゃったんだろう。どうして家族や会社のスタッフ、友人知人、メルマガ読者の人たちに声をかけて『一緒に行こうよ』と誘わなかったのだろう」と後悔した。だが、これからが始まりだ。

●渡辺知子一座の最小グループ単位は、知子さんとご主人のペア。
あなたの町や会社にも招こう。

知子さんがキーボードと歌とトークを担当する。ご主人がオカリナとフルートと篠笛を担当。そこに音楽家の人や障害者施設の子なども参加すると総勢30名ほどになるときもある。
予算も相談し、希望日時を伝えれば対応してくれる。

●もっともっといろんなところでコンサートをやりたい。生きる喜びや人生のすばらしさ、人間の可能性について訴えていきたいと知子さん。
私たちも彼女たちの活動を支援しよう。いや、逆に心の支援をしてもらう必要があるような気がする。

★渡辺知子一座公式サイト
http://www.tomotaka2.sakura.ne.jp/index.html