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開運の方法

●一生懸命に仕事をするのは素晴らしいことだが、平常心と余裕を失ってしまうと、いわゆる「てんぱる」(目いっぱいで余裕のない状態)ことになる。
人は「てんぱる」と目がつり上がり、本来の実力が発揮できなくなる。
それだけではない。運気まで遠ざかっていってしまうという。

●だれもが運気を味方にしたいと願っているが、日々、運を味方にすることに命を賭けている職業がプロ麻雀士(以下「雀士」じゃんし)だろう。
実力においては高いレベルで拮抗するプロ雀士の世界では、場の流れをいかに読み、運をどれだけ自分の手元に引きつけておくことが出来るかどうかで勝負が決まる。だから、運のマネジメントが生命線だ。

●通称「雀鬼」。

麻雀好きのなかでは、その名前を知らない人はいない。「代打」の世界で20年間無敗のまま現役引退した「雀鬼」こと桜井章一。
氏の著書『運に選ばれる人 選ばれない人』によれば、幸運の女神がつきにくい人とは、「余裕がない人」と「慎重に考えすぎる人」だと言う。
いつも100%の力でものごとに打ち込むのは尊いことだが、100%でなければならないと思い込んで完全主義をめざすと、心の余裕をなくすことになると指摘する。

●私もかつては完全主義者だったころがあり、朝から晩まで決めた時間割通りに過ごすことを目標にしていたことがある。
4時に起きて6時半までにメルマガを作り、7時半に家を出て8時にスタバ着。読書と計画を一時間やって、9時15分出社、・・・という具合の時間割だ。

●完ぺきな一日を過ごすことができてようやく100点満点。
100点を取れる日など月に一日もないから自然に減点主義になっていく。
たいていは、良くて70点、普通で50点、悪いと20点以下になる。そんなことを毎日くり返していると、自分はダメ人間だということを確認するだけになり、嫌になってやめた。

●それに替わって江田島の「五省」の五項目を手帳に書いて、それを元に一日の自分をざっくりふり返るようにした。反省はそれで充分だと思っている。

●考えるより感じることだ、とも言う「雀鬼」は、「瞬間は愛なり」が信条だ。
彼は、若手雀士を育成する道場で、訓練として牌をつもってきたら要らない牌を瞬時に切るトレーニングをしている。それによって直感力をみがくのだという。

●私も「運」に敏感な方だ。
一緒に時間をすごしたいと思う人は運に恵まれた人ばかりである。

時々、運にまったく恵まれていない人にお目にかかるが、人相というか表情や顔つき、言葉づかいですぐにそれと分かる。
意識して不運な人を避けているつもりはないが、結果的にはそうなる。
後日、別の場所でその不運な方にお目にかかると、もっと不運そうな人と一緒にいる。どうやら運の似通った者どうしが互いに惹きつけあっているようだ。

●そういう不運な人でも運の流れを変えることができると、「雀鬼」は次のようなことも言っている。

・・・運のよしあしは、変化をした方向がいいか悪いかということなのです。「自分は運が悪いなあ」と思えば、それは漠然とした感じにすぎませんが、運という言葉を使わずに「方向が悪い」と思えばよいのです。
「方向が悪い」のならば、今までのやり方や努力の仕方のどこに問題があったのか、軌道修正すべきことが具体的に見えてきます。方向を変えないままで、「努力が足りないんだ」とか「努力しているから、いつか酬われるんだ」と思い込んでしまってはダメなのです。
人は正しい方向に努力していれば違和感がなく、かならず運は良くなるものです。
・・・

●桜井が言う「方向を変える」とはどういうことかを私なりに考えてみたが、「誰と一緒に、何をするか」が運気マネジメントのキーワードだと思う。

運気のターニングポイントとは、何かを始めたとき、何かをやめたとき、場所を変えたとき、取引先を変えたとき、売り方を変えたとき、商品や値段を変えたとき、社員を採用・登用したとき・・・。

●運気が悪くなれば、その原因となっている出来事を根っこから変えればよい。
運気が好調になってきたのであれば、その原因となっている出来事を特定し、更にそれを伸ばしていけばよい。

「運とは変化の方向」である、という桜井の主張は分かりやすい考えだ。

★『運に選ばれる人 選ばれない人』
→ http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=2040