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進化する中高年

●あるミーティングを終え、皆でイタリアンへ。私を含めて数人のグループだったが、本格的なイタリアンは生まれて初めてという若い男性がグループの中にいた。
店内で彼があまりに興奮しているので、私がウンチクを語ってあげた。

●「たしかにここはイタリアンだけど、イタリアで言うトラットリアだね。家庭料理が味わえる日本の定食屋のようなカジュアルな感じ。
トラットリアより高級なのがリストランテ、更にその上にミシュランガイドに載るような高級リストランテというのがある」

●すると彼は真顔でこう質問した。

「高級なのがリストランテで大衆的なのがトラットリアだとしたら、サイゼリアは何ですか?」

どうやらジョークではないようだ。少年のように何にでも素直に驚いてくれる彼がいたお陰で、食事会は大いに盛りあがった。

●大人になるとちょっとのことで興奮したり感動したりしなくなる。
人は経験を積むにしたがって未知のことが減っていくからだろうか、多少のことでは驚かなくなる。

●私もあと10日ほどで55才になるが、ついこの前までは「イチローの背番号と同じ年です」と人に自慢していたが、いつのまにか松井秀喜の背番号になる。
これ以上の背番号になると、一軍で活躍するスター選手は思い当たらず、監督やコーチの背番号になってしまう。

●だがそれはスポーツ選手の話であって、古今東西、すごい中高年はたくさんいる。
私と同年では、55才で蝦夷地に向かって測量の旅に出た伊能忠敬がいる。
彼は若いころから天文に興味があったが、婿養子先の商家の経営を任され、傾きかけていた酒・醤油の醸造業や貸金業を見事に立て直し、隆盛にみちびく。彼自身も相当な蓄財をしたといわれる。

●そんな忠敬が50才になって、あっさりと家督を長男に譲り、彼自身は子どものころからの夢であった天文・暦学を本格的に学びはじめる。
学ぶ相手は19才も年下。

●当時、地球が丸いことは証明されていたが地球の大きさは分からなかった。懸命に考えた結果、地球の大きさを測る方法を考案した忠敬は、測量の精度を求めて蝦夷地までの旅に出る。伊能忠敬、ときに55才、「人間50年」といわれた時代の55だから、今の感覚では80才くらいか。

それから17年の歳月と歩数にして4000万歩の全国行脚の末に日本地図を完成させる。あっぱれな中高年だ。

●今の仕事を引退するのは構わないが、引退するまでに忠敬のように経営を成功させよう。
そしてあっさりと引退し、その後には子どものころからやりたかったあのことを始めよう。

それが「進化する中高年」のライフスタイルだと思う。