●侍ジャパンが苦戦している。
今日のキューバ戦は是が非でも勝って決勝ラウンドに進出してもらいたいものだ。
侍ジャパンの「侍」をウィキペディア(Wikipedia)で調べてみたら、武士階級の中でも特に上層の存在で、特別視されたのが「侍」らしい。
そんな誇り高き名を冠した侍ジャパン、がんばれ!
●武士の起こりは関東地方(昔の坂東(ばんどう)地方)であることから”坂東武士”とか”坂東侍”などとも呼ばれる。
武士のルーツは公的な軍事警察のようなものだったという。今でいえば自衛隊の小さいもののような存在だろうか。
やがて彼らが政治的にも力をつけはじめ、遂にそれらを統一して政権を公家から奪い取ったのが源頼朝の鎌倉幕府だ。
●この時代の武士は、とにかく無教養であったと言われる。
当時の武士がどの程度無教養であったかは諸説紛々で、真偽のほどは定かでないが、平安貴族より劣っていたとしても何ら不思議ではない。
司馬遼太郎の講演「歴史小説家の視点」によれば、その無教養時代ゆえに鎌倉時代は他のどの時代よりも彫刻が栄えたと、いうことになる。
●司馬によると、本来日本人は二次元の芸術を好む。
古くは和歌や俳句、絵画や書、最近では写真や映画やマンガなどだ。
たしかにどれも二次元で平面的なものだ。
それに対して彫刻やオブジェ、あるいは近代美術館にあるような立体的な芸術は三次元であり、たしかにあまり好まれない。それがヨーロッパと比較した日本文化の特長だと司馬はいう。
●そんな日本にあって鎌倉時代だけが突然変異のように彫刻芸術が栄えたわけで、それはひとえに無教養時代のたまものだというのだ。
立派なほとけ様や慈悲深いぼさつ様、怖い仁王様などを、絵や言葉で伝えてもよく分からない。
そこで写実的、立体的な彫刻でありありと伝えることで皆がそれを無条件に受け入れたという。だから彫刻がこの時代だけに栄えたのだという。
運慶や快慶など、当時を超える彫刻家が後に誕生しないのはそのせいだというわけだ。
●こうした司馬流解釈に一理あると私は思う。
夏目漱石もそんな運慶に敬意を表していて、『夢十夜』の第六話が運慶(うんけい)の物語だ。それについては、2004年9月14日号に次のような内容をお届けした通りである。
●漱石の夢では、運慶が鎌倉時代から明治時代に舞い戻る。
護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判を聞いた漱石が駆けつけてみた。
鑿(のみ)と槌(つち)を自在にあやつり、堅い木を削って厚い木くずを飛ばす。あっというまに浮かび上がる怒り鼻の側面。どうにも無遠慮に削っているように見えるが、運慶は少しもためらいがない。
その様子を見ていた若者が言う。
●「なにあれは、眉や鼻を鑿(のみ)で作るんじゃない。あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」
それを聞いた漱石は急に自分も仁王像を彫ってみたくなった。
●家に戻った漱石は、庭に積んであった樫(かし)の木の一番大きいのを選んで勢いよく彫ってみたが不幸にして仁王は入っていなかった。
その次のもダメだった。三番目にも仁王はいなかった。
結局、漱石の庭に積んであった樫(かし)にはどれも仁王はいなかった。そこで、漱石は悟る。
「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていない。それで運慶が今日まで生きているのだ」と。
漱石の夢はそこで終わっている。
●さて、鎌倉時代の「侍」が待ち望んだ彫刻の仏像。
2006年の「王ジャパン」にとっての仏像は王貞治監督だったが、今年の「侍ジャパン」の仏像は間違いなく「イチロー」だろう。
一番を打つその仏像が活き活きと輝けば、侍は燃える。