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二人の名人

●「煮てない時間が煮物を作る」というが、落語家も名人の域に達すると、しゃべってない時間でお客を笑わせる。

五代目・古今亭志ん生の十八番『強情灸』のオープニング。

三味線と太鼓の音に合わせて志ん生が登場し、高座に上がる。
「でたぞ」というように、すでに場内はザワザワとし始めた。太鼓の音色が止んで志ん生が話しはじめる。

「え~、・・・まいどながらぁ・・・、ふふ」

・・・ 場内 ドッと沸く 爆笑になる

「これからなんか言うんですから」

・・・ 大爆笑になる

「とにかく落語の方はってぇと・・・」

・・・年輩女性が笑いをこらえて苦しそうにしている声がもれ聞こえ、場内に笑いの連鎖が続く

●「今日は志ん生の話を聞きにやってきた。思いっきり笑って楽しもう」という気持ちが互いにあるから、志ん生を見たとたんにもう笑ってしまう。
まだ何も話していないのに、笑いを取れる。最高のつかみ。

●芸は名人だが、志ん生の生き方や考え方には首をかしげるところも多い。それも含めて志ん生の魅力と言えるのかもしれないが、こんなエピソードがある。

普段から酒を飲んで高座にあがることはちょくちょくあったが、その日は夜遅くまで深酒したのだろう。高座にあがった志ん生は客の前で居眠りしはじめてしまった。

客も客、スタッフもスタッフ、居眠りも志ん生の名人芸に違いないと思い込んでいるから誰も起こさない。何分もの間、皆が志ん生の居眠りを見守ったという逸話がある。

志ん生いわく、「芸なんてものは一生一度やるもので、毎日高座で芸をやっていたらこっちの体が持ちませんよ。芸と商売はおのずから別っこのものですから」

●息子の古今亭志ん朝に落語を教えるときでも、

「ええー、そこでそのぅ、おさむらいが出てきて」

父ちゃん、”おさむらい” だけじゃわかんないよ 名前は何?

「忘れちまった いいんだよぅ 客はわかりゃしねぇ」

人を食っているのか、すっとぼけているのか、とにかく破天荒な噺家だった。

●二歳年下になるが、志ん生と人気を二分したのが八代目 桂文楽(かつら ぶんらく)。
志ん生とは対照的に、細部まで緻密に作り込み、寸分も揺るがせにしない完璧主義者だったという。プライベートでは結婚を5回もするなど浮き名も多かった。
だが、落語は商売じゃない。芸なんだ。だから慣れ親しんだ演目を話すときも必ずおさらいしてから高座に上がった。

晩年になると、高座で失敗したときのお客への謝り方も毎朝稽古していたというからすごい。芸を追求し、寸分たりとも妥協しない姿勢は天才・イチロー選手に似ていなくもない。

●皮肉にも、そんな文楽の最後の高座は壮絶なものだった。

1971年8月31日、国立劇場小劇場で「大仏餅」を演じた。前日に別会場で同じ演目をやっていた為、この日に限ってはおさらいをせずに高座に上がった。噺が中盤にさしかかり、盲目の乞食が本当の出自を明かす決定的な場面のセリフ、

「あたくしは、芝片門前に住まいおりました」に続く「神谷幸右衛門」という人名をまったく思い出すことができなくなった。

「・・・・・・」

高座の上で絶句する文楽。

客も異変に気づく。

やがて文楽は土下座し、観客に向かって消え入るような声で

「台詞を忘れてしまいました」

「申し訳ありません。もう一度」

「勉強をし直してまいります」

と、話の途中で高座を降りた。桂文楽79才。

●この日以降、文楽はすべてのスケジュールをキャンセルし、二度と高座に上がることもなく四ヶ月後に肝硬変で亡くなった。

もし志ん生だったらセリフを忘れても平然と話を続けたろうに・・・。
でも文楽のような潔さも名人のこだわりなのだと思う。

名人になってからでも失敗する、79才になってからも失敗する、それが芸の怖さであり、奥深さなのだろう。芸に完成はない。