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マカオにて

先週末は香港からマカオへ移動。

近年、「サンズ社」などのラスベガス資本が続々とマカオに進出し、荒稼ぎしてきた。5年で回収予定だったカジノホテル「サンズ」は10カ月で回収を完了するなど絶好調だった。

だが今年の四川省大地震への寄付金の少なさに激怒した中国政府筋は、ラスベガス資本に締め付けをはかるため、観光客のマカオ流入を制限しはじめた。
その効果はてきめんで、絶好調だったサンズは一気に赤字転落。そこに秋以降の米国発の世界同時不況が重なって、先月、ラスベガスサンズ社は「債務不履行の恐れあり」と米国で報じられ、株価は大暴落した。

マカオでもサンズ社は、「サンズ」以外に「ベネチアン」を運営。
積極的な超大型投資が裏目となって、いまでは新規投資のすべてが凍結されている。
工事が完全に中断したマンションやアパートメントがあちらこちらにあるマカオ。鉄筋などはさび付き、荒涼としている。
悪いのはサンズ以外どこも一緒。外国人労働者は失業し、週末だというのにフィッシャーマンズワーフに集まる観光客も激減した。まるで宴のあとのようなマカオ。

そんなマカオをタクシーで見て回った。
MGM、フォーシーズンズ、ベネチアン、グランド・リスボアなどのカジノを見たが、カジノ客のほうもかなり減っているようだ。

以前なら大陸から大挙してやってきた中国人旅行者が鉄火場のような様子でギャンブルに熱中していたが、今回は落ち着いた大人の社交場の感がある。どちらかというと、ラスベガスの雰囲気に近づいた。

マカオの凋落ぶりに対して、「最低2年はダメだろう」とか、「今が絶好の投資チャンス」とか、諸説ふんぷんである。
今後どうなるのかは分からないが、半年前の今年5月に訪問した同じ街とは思えない変貌ぶりに驚くしかない。

さて、私は基本的にギャンブルをやらない。賭け事は好きだが、好きだからこそ近づかないようにしている。

香港で仕事を終えた木曜日の夜、私が「明日からマカオに行く」と知って「武沢さんにカジノの遊び方をご伝授したい」とA社長(67)が同行を申し出られた。もちろん快諾し、結局、BさんとCさんを含む総勢4人でマカオに向かった。

Aさんの本職は会社経営。カジノはあくまでお小遣いかせぎで、月に1~2度、時間をみつけては香港から遊びにくるという。そして、来るたびに数十万円程度のお小遣いを稼いで帰るという。

そんな話を聞かされても私は内心で、どこかで疑っていた。カジノはそんな甘いもんじゃないだろう、と。

Aさんいわく、カジノのゲームのなかでも一番単純であり、勝ちやすいのは「バカラ」だという。
「バカラ」をよく知らない私でも、Aさんの横に座って同じように賭けてゆけば勝てると思い、「じゃあ横に座らせて下さいね」とお願いした。

ホテルに荷物を放り込み、夕食を簡単に済ませて「グランド・リスボア」のカジノルームへ。Aさんがここを気に入っている理由は、禁煙コーナーがあるから。ただし、ドリンクサービスがない。

Aさんから「バカラ」のルールを聞いてとりあえず最低掛け金の小さいテーブルに座る。ディーラーに1000香港ドル(12,000円)を渡すと、100ドルチップ(1,200円)を10枚くれた。
最低掛け金の100ドルを賭けていく。親か子か、どちらが9に近い数字が出るかという「かぶ」のようなトランプゲームだ。

「親か子か」、基本は毎回フィフティ・フィフティのはずなのだが、ディーラーの横にある大きめのディスプレイに過去の実績が表示されている。そのディスプレイを見ながら状況判断していく。Aさんはカードになにやら書き込みしながら意志決定している。

あ、なるほど。そうやって予測すればいいんだ。あ、なるほど、そうやって掛け金をコントロールすればいいんだ、と学習しながらのゲーム。
数時間後、私を含む全員が「バカラ」に勝利し、ホテルのバーで祝杯をあげた。

途中、私が自己流に走って大きな勝負をしてしまったため、一時間の利益を1分で失ったが、それでも4千ドル(48,000円)勝利することができたのは、Aさんのやり方を皆が倣ったからに他ならない。
私以外の人は皆、1万ドル(12万円)を超す利益を得ていた。

翌朝、食事を済ませ、ふたたび4人でバカラのテーブルへ。私は日本に帰らねばならないので二時間ほどのゲームだったが、ここでも4人全員が勝った。

「信じられない。こんなことがあるのですね」と私。
「4人とも勝つなんていうのはたしかに珍しいが、二回に一回以上の確率で勝てるようになりますよ」とAさん。

なぜ勝てたのかはまだ分からない。これはAさんが編み出した必勝パターンなのか、単なるビギナーズラックなのか。

ひとつのポイントは「ヨミ」である。過去の実績から次をどうヨムかというヨミ方の技術の問題。

もうひとつはベッティングシステム(賭け方の技術)の問題である。
そのあたりを上手に体得してゆけば、時間が味方してくれるような勝ち方があるのだということを知った。

Aさんを「師匠」と呼ばせていただくことにして、マカオでの再会を誓った我々一行である。