3年前、ローマのフォロ・ロマーノを訪れたとき「ここに元老院があって、シーザーはブルータスにここで刺されたのですよ」と解説された。
世界史は赤点だった私でも「ブルータスよ、お前もか」ぐらいは知っている。
だが無知とは残念なもので、どういう状況でシーザーがそれを言ったのかは知らなかったので、ガイドさんに「へぇ、そうなんだ~」くらいしか言えなかった。
きっと今の私なら興奮して質問攻めしたに違いないのに。
最近『プルターク英雄伝』を読み、私が生まれる前に完成した映画を観て、シーザーのことを初めて知った。
ひとことで言うと、彼は強かった。そしていつもかっこよかった。シーザーの伝記を読むだけで多くの読者が彼の部下になりたがるというが、その気持ちも分かる気がする。
アレクサンダー大王にあこがれ、クレオパトラと恋に落ち、子供まで生み、ガリア種族を平定して今のフランスの土台を作っている。
ルビコン川を渡って凱旋帰国し、やがて権力の頂点に登り詰めたシーザー。
彼は紀元前100年に生まれている。釈迦や孔子よりは400年ほど後輩だが、キリストやマホメットよりも先輩である。
その彼がガリア(今のフランス)に遠征して連戦連勝していくプロセスを克明に記録した『ガリア戦記』はローマ人の世界を迫真の名文で活写した不朽の名著といわれている。
シーザーは弁舌が巧みなだけでなく、文才にも長けていたのだ。
シーザーのような万能の社長がいれば会社もうまくいく。
だが、それは困難なことなので、できれば、役割分担をしてシーザーに肉薄していきたいところだ。
司馬遼太郎は革命成立の条件として「三つのタイプの人材が揃うこと」と述べている。
三つとは、思想家・戦略家・技術者(実務者)である。このどれが足りなくても革命は完成しないというのだ。
そのうち、思想家と戦略家はおうおうにして非業の最期をとげるものであり、革命の果実を味わうのが技術者たちであるともいう。
たしかに大久保利通や木戸孝允、大村益次郎、伊藤博文、山形有朋、井上馨など明治新政府の元勲たちはみな最後のタイプの人材であり、事務処理に長けた周旋(政治)の才ある人たちだ。
幕末の思想家といえば、長州・松下村塾の吉田松陰や、その松陰に影響をあたえた高山彦九郎(京都三条京阪にある御所にむかってお辞儀する銅像で有名)や、「君が代を おもふ心の 一筋に 我が身ありとも 思はざりけり」の辞世句で有名な梅田雲浜などがそれにあたるだろう。
戦略家とは、頭脳と武力と勇気に富み、時にはテロ行為で相手を揺さぶり、時には軍部をおさえて実権を握るなど急所をおさえた活動が臨機応変にできる人材のことである。
その代表は高杉晋作、西郷隆盛、坂本龍馬たちであろう。
どのタイプが欠けてもうまくいかないというが、中小企業経営者にはそれら三つの条件が全部備わっていなければならないことになる。
つまり「思想家」としての才で理念やビジョンを制定する。「戦略家」としての才で自社の強みに特化した経営戦略や営業戦略をうちたてる。
「技術者」としての才で競争力の高い製品・サービスを創造していくことになる。
「なるほど、さすが司馬さんだな」と思っていたら、『ドイツ参謀本部』で著者の渡部昇一さんは戦争に勝てる組織とはスタッフとリーダーがバランス良く揃わなくてはならないと説いている。
計画立案がどんなに素晴らしくても、それを遂行する現場のリーダーが軟弱ではうまくいかないのだ。
その反対に、リーダーが猛将揃いでも、作戦計画がお粗末では勝てない。
そのあたりのこと、お盆休み明けの号でもう一度考えてみたい。
※『がんばれ社長!今日のポイント』は明日8月13日から17日まで休刊します。次回は8月18日(月)にお届けします。