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続続続・志気盛ん

●昨夜、ある社長と夕食。お寿司をつまんだあと、二次会でラウンジへ。
カウンター越しに接客してくれた女性はアルバイトらしい。数年前に離婚したという。

「へぇ、別れたの」と私。
「ええ、6年間結婚していたけど、どうにも我慢できなくて」
「ガマンって、何の?」
「6年の結婚生活のうち、5年は完全に夜の方がないものだから」
「ああ、なるほど」
「それだけの理由じゃないけど、それが一番」

●性愛の欠如や不足が理由で伴侶をうしなう人がいる。

また、性エネルギーの発露法をあやまり、性犯罪を犯して人生を台無しにする人もあとをたたない。
しかもそれが学校の先生や裁判官、僧侶や高級官僚など指導的立場にある人たちによって引き起こされ、マスコミがそれを大々的に報じると胸がいたくなる。「もったいなさすぎる」と。

●「バカなことをやって」とニュースキャスターが犯人を切り捨てるが、次は私の番かもしれないと背筋が寒くなる思いをした方はいないだろうか。

●普段は冷静沈着で、決して羽目をはずさないような人でも、酒の勢い、場の勢いなどに抗しきれず、かくしもっていた性癖が暴発して自分の制御が効かなく可能性は誰にも否定できない。

●そうした危険性を育んできたのは、性に対する間違った知識と情報に洗脳され、妄想をたくましくしているからだ。

そのA級戦犯はアダルトビデオや雑誌、アダルトWEB運営会社などではなく、むしろ性愛を抑圧する側だった宗教家や教師など、いわゆる教職者ではないかと思う。

●『和尚、性愛を語る』(玉川信明編著、社会評論社)を読むと、人を愛すること、とくに異性を愛するということと性生活との関係をアメリカ的ポルノとはまったく別の視点で語ってくれている。

それは瞑想的喜びと、人としての創造性発展につながる真の性愛についである。

●恥ずかしながら私が知らなかった世界がここにあった。

自分の性をコントロールしなければならないとお感じの人にとって、むしろ「性はコントロールしてはならない」と語る和尚のメッセージは福音になる可能性もある。

う~ん、これで4回書いてきた。我ながらまだまだ消化不良だとは思うが、これにていったん筆を置く。

★『和尚、性愛を語る』