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父の後ろ姿

「あの10万円の札束がうちのものだな」と愼一少年は考えていた。

昭和32年もあと2日で終わるという年の瀬。今日は父が経営する小村鉄工所(仮名)の仕事納めの日だ。
普段は父の会社に入れてもらえない愼一少年だが、この日だけは特別。

この日は半日で仕事を終え、午後から30人くらいの社員が交替で威勢よく餅をつく。つきたてのお餅を醤油や大根おろし、きな粉につけてほおばると、気分はもうお正月。

餅つきが終わり、後片付けが済むと、今度は「餅代」という名の賞与が配られる。それが父の会社の仕事納めのしきたりだった。
社員にとっては、一年でもっともうれしい瞬間だったことだろう。

昭和32年といえば、公務員の初任給が9,200円、パートの時給が40円という時代だ。この年、5千円札が初登場したが、一万円札はこの翌年まで待たねばならない。
いつのまにか、銀行員が運び込んでくれた大型カバンの中には千円札の束がびっしり入っていた。
愼一少年は遠巻きにそれを見ながら「わ~、すげえ~」と思った。
「父のお金か、銀行のお金か」が気になったが、それだけのお金を用意できることは、それだけですごいことだと思った。

世間は「なべ底不況」に突入し、景気はよくなかった。

父の会社も仕事が減っていた。たぶん赤字だった。だが父は、ニコニコして上機嫌そうにひとりひとり声をかけながら賞与を手渡していく。

「はい、ごくろう様やったな」、「親孝行せえや」、「風邪引くなや」、「よくがんばったな、来年も頼むで」、「子供にええ服着せたりや」
・・・。

「はい、ありがとうございます」

と、社員もうれしそうだ。

あらかじめ封筒に現金を入れてあるのではない。
カバンに入っている千円札の束をひとつずつテーブルに出し、紙帯を切って、母が封筒にお金を入れていく。金額は一人ずつ決めてあるようで、ノートの数字を見ながら入れている。その封筒を父が社員に手渡す。

たくさんあった札束がみるみる減っていき、とうとう最後の一束になった。
愼一少年は、「父が一番エライんだから、あのひとつの束はうちのものだろうな」と思い込んでいた。

「あれで何のおもちゃを買ってもらおうか」と。

だが父と母は、無情にも最後の束の帯も切った。

千円札はあれよあれよと減っていき、最後には三枚しか残らなかった。
「ふう、終わった」とため息をつき、父はその三枚を母に手渡す。
母は笑顔でそれを拝むように受け取り、「おつかれさまでした」と父をねぎらった。

8才の愼一少年はその光景に衝撃を受けた。

「一番エライと思っていた父の賞与が一番少ない」
なぜなのか分からなかったが、子供心にそれが社長というものだと、父の背中が語っているのが分かった。
三枚の千円のおかげだろうか、その日の夕げの食卓に家族全員に尾頭付きと赤飯が出た。普段お酒を飲まない父も、この日だけは母と熱燗を一本分け合った。

この年末、愼一少年はおもちゃをおねだりしなかった。

あれから半世紀たった今でもこの昔話を私に聞かせるほど、愼一少年にとって、三枚しか残らなかったことがショックだった。
いや、三枚しか残さなかった父の姿勢に感銘したというべきか。
少年が見た映像は、社員もまた同じものを見たはずだ。

間もなく還暦になる愼一少年は、父の意志を継いで立派な会社に育て上げている。