Y 社の経営計画発表会のあとの懇親会。宴が佳境に入ったとき、照明が落ちた。「あ、停電?」と誰しもが思ったそのとき、進行役の女性がステージ脇からこうアナウンスした。
「皆様、窓の向こうの海側をご覧下さい。Y 社の O 社長様から皆様へ、本日のご参会の御礼にとプロの花火師による打ち上げ花火ショーでございます」「え、花火!」「どれどれ」100人はいたであろう出席者の大半が窓側に集まったころ、「シュル
ルルル、ドーン」という音と同時に夜空に大輪の花が開いた。見事な大筒で、思わず「玉屋~」「鍵屋ぁ」と江戸時代の花火師の名を叫んでいる人がいた。
「今日は昼からずっと風が強く、この余興が中止になりはしないかとハラハラしていました」と笑う O 社長。宴席の余興に花火を打ち上げるとはなかなか心憎い演出である。
そういえば、なにかの本で読んだが中世フランスでは貴族の宴席で花火が打ち上げられることがあった。当時、貴族や社交界では、「美食」への関心が重要なテーマだった。名のある料理人を雇い、いかに白いパンを出せるか、いかに新しい料理を出して参会者の度肝を抜くかを競いあった。「美食」で勝利し、社交で成功すれば名声もあがる。
そうした貴族に任命されるメートル・ドテル(給仕長)のポストは料理人のあこがれだった。給仕長は宴席の最高責任者であり、名のある料理人の2倍の報酬を受け取る。そのかわり、責任も重い。給仕長の仕事は料理だけではない。調理場の人員選び、食費の管理、献立決め、特別行事の決定などである。
当時、フランソワ・ヴァテールという男がいた。彼は菓子屋の見習い職人から身を起こし、やがて腕の良い職人になった。今でも、クリームシャンティというお菓子が人気だが、17世紀に彼が考案したものである。
そのヴァテールが、主人であるコンデ公主催の宴の総責任者をまかされた。その祝宴は三日間に及ぶもので、豪華さにおいて歴史に残るものだった。総額1億5千万円に及ぶ食材と特別行事が彼ひとりの肩にかかっていた。しかし、このときヴァテールにとって気の毒な不運が重なった。
まず、与えられた準備期間が短かった。献立決めや食材調達に奔走したことで疲労困ぱいしてしまった。二日目の晩餐になると、予定以上の人がやってきたため、肉が不足した。責任感が強いヴァテールがそのことを気にして何度も詫び、憔悴しているので、コンデ公自らがヴァテールのもとへ行って慰め、励ました。
その夜は天候にも恵まれなかった。大金をはたいて企画した打ち上げ花火は曇りのためによくみえず、演出としては失敗だった。「またコンデ公に迷惑をかけてしまった」と落ち込むヴァテールに追い打ちをかけるように、3日目の朝、厨房で食材を確認すると発注した魚介類がごくわずかしか届いていなかった。天候不順が続き、充分な食材を確保できなかったようだ。
「今度こそダメだ」
ここまでくるとヴァテールは責任を取らざるを得ない。覚悟し自室に戻っていった。そこに剣がある。
<あすは休刊日のため、あさってに続く>
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