●メール社会の今日、文章力の下手さを放置することは許されない。
昭和の時代なら、「自分には文才がないので」と頭を掻きながら誰かに代筆を頼めばよかったが、今の社会はまったくそれを許さない。
●社内外のメールやりとりにブログ作成、メルマガ原稿、HP、会社案内や経営計画書などなど、経営者の思いを文章で表現する機会がいたるところにある。
文章力を鍛えることの大切さは近年、増しに増したのだ。
そこで今日は、良い文章を書くために私たちは何をすべきなのかを考えてみたい。
●「武沢さんがそんなことを語る資格があるのか」
というヤジが飛んできそうだが、正直、良い文章を語る資格は私にはないと思う。
文章術のたぐいを体系的に学んだこともないし、我流の方法でしか書けない。武沢我流をあなたに紹介してはミスリードの批判を受けよう。
だが、良い文章を書きたいという気持ちをもつあなたの仲間として、同志を励ます文章くらいは書かせてもらう資格があると思うのだ。
●だから、これはあくまで自分自身とあなたに送る激励文だと思ってお読みいただきたい。
良い文章を書くためには、まず何よりも、良い文章を読むことが大切だろう。
何をもって良い文章というか、だが、作家の丸谷才一は「君が読んで感心すればそれが名文だ」と述べている。名文の定義としてこれほど分かりやすいものはない。
●そこで、あなたが読んで感心した文章をいくつか手元に集めてみようではないか。
かつて読んだ本のなかで、特に感動した箇所、思わずうなってしまった箇所、強く印象に残った箇所などをワープロやノートに筆写するのだ。
●私は司馬遼太郎の小説が気に入っていて、いたるところに氏の名文が抜き書きしてある。
だが、あえて何度も何度も同じところを今でも抜き書きするのは、その作業中に得られる気づきがあるからだ。
「へぇ、こんなところで句読点を使うんだ」「え、ここで改行なの?」
「ほお、あえてここはひらがなを使っているんだ」などと気づく。
●作者のこうした工夫は、文章を一気に読んだだけでは見落とすかもしれないが、筆写すれば発見することができるのだ。
だから通読するときには、感心したページに付箋を貼っておき、あとから筆写できるようにしておく。
●ちょっとここで断っておかねばならないことがある。
私たちの多くは、今から文豪や小説家になろうとしているのではない。
あくまで、ビジネス文書における名文家になりたいのだ。
名文の前にビジネスが付く「ビジネス名文」の書き手を目指したいものである。
「ビジネス名文」とは私の造語であるが、こちらの気持ちや意思を第三者に効果的かつ効率的に伝達し、しかも受け手に感心される文章のことをいう。
●文章を磨くといえば、かつて、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、中村真一郎、丸谷才一など、そうそうたる文士が『文章読本』などの本を通して、私たちに良い文章の書き方を教えてくれた。
丸谷の文章がお気に入りの私は、氏の「文章読本」を何度か通読もした。
しかしそれらの「読本」はいずれもビジネス名文を意識した作品ではないようだ。
●ビジネス名文を志すものとしては、辰濃和男氏の『文章の書き方』、『文章のみがき方』(いずれも岩波新書)の二部作がもっとも秀逸な教本ではないかと私は思う。
●何といっても辰濃氏は、限られた文字数の「天声人語」(朝日新聞朝刊の一面コラム。代々名文家続きのコーナーとしても有名)欄で、13年の長きにわたって書き続けてきた文章の達人だ。
●1930年生まれということで、すでに「天声人語」の現役は退かれたが、昨年秋に発売された『文章のみがき方』で、今なお文章力を鍛えようとされるその情熱に強く打たれた次第。
●文章で自分を表現するものとしてのこだわりは、文豪のそれと変わらないかもしれない。
時々、メルマガやブログの作家から「武沢さんは自分の原稿を後から読み返しますか?」と聞かれることがある。
要するに「推敲しますか?」という意味らしいが、あまりにも当然のことを聞かれて私がかえって唖然とする。
その質問者は自分の原稿を読み返さないというのだ。
「私は書き終わったらすぐに配信します。あれこれとひねくり回している時間がないし、勢いも大切にしたいので」
●残念ながら、私はその方のメルマガやブログを読もうとは思わない。
文書とは、そんなものではないはずだ。文章は自分の分身、いや、自分そのものだと私は考えている。
だから、良い文章を書きたいと常々思っているし、そう思っている人の文章を読んで今日も感心したいのである。
<明日につづく>