淡路島断食四日目。
昨日の午後から体調に異変。頭の芯がボーッとして、無気力感がおそってきた。何もやりたくない。ずっと寝ていたいが、寝ていても気分は晴れない。
食事をとっていないせいで、エネルギーが枯渇しているのだろう。
毎回一度はこうした変調をきたすが、これは、アク抜けの儀式のようなものだと思って気にしない。これが過ぎると、心身ともに爽快になるのだ。実際、今日は気分がよい。
食べ物が手に入らない環境にいると、そのことに不便を感じなくなる。慣れとはおそろしいもので、もし仮に私がこの環境でずっと生活すれば、適正体重になるのは時間の問題だといえよう。
適正体重から離れて早 四半世紀。何とかして生きているうちに適正体重に戻りたいものだ。
だが、誰かに管理された生き方で良い結果を出したところで、それは自分の人生ではない。
誰からも管理されず、拘束もされず自由に生きたい。主体的に生きたい。
それでいて、高い次元の目的を果たすために高度に自己管理している。
それは、他人に管理されるよりもある意味で厳しい。そんな過酷なことが平気にできる人間でありたいものだ。
「今までの自分が嫌になり、それを否定したかった」
太った自分が自虐的なネタで笑いをとるのが嫌になり、お笑いタレントからプロボクサーに転身した片岡鶴太郎氏。
そして世界タイトルマッチのセコンドを経験したり、俳優、芸術家としても評価を得た。
作家のリリー・フランキーはエッセイで「一億総 鶴ちゃん化」と彼の転身ぶりと “したり顔”を批判している。
そんなに軽々にその道の専門家ぶるなよ、ということらしいが、私は、自分の人生を劇的に変えた人として鶴ちゃんに対してポジティブに注目している。
彼が登場するトーク番組があれば必ず手を止めて見る。たまたま同年だから彼の気持ちもよく理解できるつもりだ。彼の険しい表情は、決して “したり顔” などではなく、求道者の顔つきだと思う。
ボクサーと芸術家というストイックな職業の代表格を本業にすることで自分をギリギリまで追い込んでみたいという決意の表れなのだと思う。
「二度と太りたくない」、「二度と昔の自分には戻らない」という決心でもしたのだろうか、午後4時以降はものを食べない主義だとも言う。
宗教開祖者の多くが断食を経験しているが、肉体を細らせ、精神を研ぎすませないと感じることができない何かがあるのかもしれない。
「ストイック」という言葉が好きな私は、断食三日間を終えて
・体重78.6キロ→76.3キロ(2.3キロ減、適正体重まであと16キロ減)
・体脂肪 (不明)
まだまだ先は長い