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重複の哲学

私の主義。(例外もあるが)

目上、先輩、お客の話は最後まで聞く。もし仮に、以前聞いた話をまた聞かされることになっても、相手の話をさえぎらず聞く。
しかも、さも初めて聞くような姿勢で。

そうすればまた違う発見があるかもしれないし、相手だって気持ちよいはずだ。もし途中でさえぎるとどうなるか。

「○○さん、そのお話はこの前お聞きしましたね」
「え、そうだったっけ」
と話の腰を折られ、相手は話そうという意欲が失せる。

相手だって、重複と知りつつもあえてそうしているのかもしれない。

私の主義。

なるべく、同じ人の前で同じ話をしない。「またあの話をしている」と思われたくない。
しかし、セミナーや講演ではあえて同じメッセージを重複して伝えることを恐れてはならない、とも思う。

「重複」といえば、こんな苦い思い出がある。

「がんばれ社長!」の読者会を「非凡会」という。全国15都市で年40回開催していた時もあるから、ほぼ毎週、どこかの非凡会に出向いていたことになる。

そんなある日、ある街でこんなことがあった。
私のスピーチの最中、幹事さんが私の脇に歩み寄って来た。

「あれ、もう時間かな」と時計を見たが、まだ15分しか経っていない。
幹事さんはスピーチしている私に、そっとメモを手渡したのだ。

スピーチを中断してそのメモに目をやったその瞬間、私は頭が真っ白になった。メモにはこう書いてあったのだ。

「武沢さん、そのお話は前回と完全にかぶってます。そろそろ次へ行って下さい」

そのとき何の話をしていたのかは覚えていないが、あわてた私は、

「このお話は以前にもしたのでこれくらいにとどめます」

と、その話を急に終えてしまった。
それだけでなく、その後の数十分のスピーチが大変ぎこちなくなってしまった。
「この話は以前にここでしただろうか?」と内心で自問しながら人前で話すのはやりずらいもの。

当時、毎週のようにどこかで何かの講演をしていた私だったが、どこで何を話したか、あるいは、何は話していないかといったことは覚えていられない。

基本的にはおしゃべり屋タイプではない私。人前で用意のないことをペラペラ話せる人間ではない。スピーチには用意がいるのだ。
しかも講演の話題だって無限にあるわけではない。持ちネタのような素材を組み合わせて一つの講演を作り上げることになる。

その時、私は自分に「重複の哲学」が足りなかったのだ。
だから、幹事さんのメモに動揺した。
「かぶっています」とメモを渡された時、堂々とこう言うべきだった。

「承知していますよ。大切なところなのであえてそうしています」と。

もうひとつ反省すべき事は、スピーチの冒頭から重複話題をしたこと。
幹事さんを不安にさせた理由はそこにあるのだろう。せめてスピーチの頭の部分は、旬な話題から入るべきだった。

メルマガでは同じことを何度も書ける。それは表現方法が前回と異なっているから読み手も新鮮に読めるはず。
ところがスピーチは、表現方法もそっくりそのまま前回と同じになることが多いので注意が必要だ。

今日の結論:

1.大切なメッセージは重複を恐れない。
2.ただし、伝え方はより新しい伝え方を工夫する。
3.スピーチの冒頭は、いつも旬の話題から入る。古典落語だってそうしているように。