「がんばれ社長!」の本社近くに、ある大企業の名古屋支社がある。
時々、出社する社員とすれ違うが、この会社の社員は例外なく美男美女ばかり。
それが経営方針なのか、それとも支店長の好みなのかは知らないが、容姿端麗であることが採用基準の上位に入っているのではないかと想像するほど粒ぞろいなのだ。
最近はお笑いタレントにまで容姿を要求する時代になりつつあるようで、漫才コンビにイケメンが増えている。
政治家だって顔や表情、服装や弁舌の技術など、外面的な部分の印象が大切だ。
政党の党首が勢揃いしたテレビ番組をみていても、野党の党首で好感度が高そうな人はほとんどいないと言ってよく、それが今度の選挙にどうでるか?
リンカーンは閣僚の人選を顔で決めたと言われる。
ある推薦者がある人物を閣僚に推薦したとき「あの男は顔が気に入らない」とリンカーンは却下した。推薦者は、「顔は当人の責任ではない。顔で人選するのはアンフェアだ」と指摘すると、リンカーンは有名なこのセリフを語った。
「そうではない。人間40才にもなれば自分の顔に責任がある」と。
自分の顔に責任をもつのは40才から。つまり、若い頃の容姿は自分の責任ではないということだ。
若い社員を顔や弁舌だけで選ぶと失敗する。
そのことは、「論語」にも書いてあるのだ。
武城(ぶじょう)の長官をつとめていた子遊(しゆう)に向かって孔子がたずねた。
「頼みになる部下は見つかったかね」
「はい、子羽という者がおります。間道を歩くことは絶対しませんし、公務以外でわたしを訪ねたこともない(高潔な)人物です」
孔子はこの話しを聞いて驚いた。なぜなら、子羽とは以前に面識があったが、ひどい醜男(ぶおとこ)だったので将来伸びることはないだろうと思っていた人物だからだ。
しかし、その後、子羽は頭角を現し300人の弟子を抱えるほどの人格者になっていたのだ。
孔子は自分の人物鑑定眼のなさをこう語る。
「われ言をもって人を取る、これを宰予(さいよ)に失し、貌(ぼう)をもって人を取る、これ子羽に失す」
(わたしは、弁舌のうまさだけで人格を判断して宰予で失敗し、風貌だけで人格を判断して子羽で失敗した)
今日の結論:
・40を超えたら顔(表情)で人を判断できる。
・しかし若者の判断を風貌と弁舌だけで行うと孔子でも失敗する。