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天才社員

天才を殺すのは簡単だ。就業規則と服務規程を要求すればよい。

時間を守れ、寝坊するな、報告書を出せ、としつこく要求し続ければやがて彼(彼女)は、「私って、この上司に評価されていないし期待もされていない」と感じ、ついには負け犬意識で仕事をするようになり、最後に去っていく。

天才は多くの場合、他事は破綻しているものだ。

一般人からみたら、信じられないようなミスや忘れ物をするが、それは極端に関心が一点に集中しているからで、他事に関心が回らないのだ。単なる記憶力の欠如とは違う理由で物忘れするのだ。

「異端を活かせ」と経営者は分かっているが、経営の仕組みがそれに追いついていない。むしろ、異端児を阻害する仕組みがすでに多くの企業に備わってしまっているのだ。

それを知ったある大企業の経営者はこう語る。

「新事業を軌道に乗せるには、一人の天才と100人の普通の人がいる」

一人の天才、100人の普通の人、どちらも社内に必要なのだ。
どちらが欠けていてもうまくいかない。なのに、多くの会社には一つの就業規則、ひとつの服務規程、ひとつの評価表しかない。

「天才用就業規則」と「普通人用就業規則」の二つ作るのもおかしな話。だったら、運用面で何らかの「特例」を設けることが必要となる。要するに弾力的な運用だ。

最大の問題は、彼(彼女)を「天才」と認定するのは誰か、そして何をもってそう認定するかである。

芸術家の場合、生存中は誰からも評価されることなく、死後何年もたってから「彼は天才だった」と評価される場合もある。
ビジネスにおいては、それだけの時間的ズレがあってはならないが、天才しか天才を認められないのが世の常。

だったら、天才か普通かなんて、他人が客観的に判断するのは無理だと観念しよう。

そして、「ひょっとしたらこの人は天才かもしれない」と思う社員がいたら、社長自らが「この半年間、君を天才と認める」と心の中で勝手に認定してしまおう。

他事には目をつむって、思いっきり仕事の出来映えだけで「天才」を評価しよう。

周囲にいる「普通」の社員から集まるブーイングを社長がはねつけ、「天才」にもそうした雑音を超越するだけの結果を出してもらおう。

もちろん、天才を甘やかすのではない。天才の将来のためにも、きっちりと厳しくしつけする必要はあるが、駄目押しをしてはならない。
「始末書を書け」「減給だ」「降格だ」などとやってはならないのだ。

「天才」を社内に引きとどめるのには骨が折れる。だが、それが出来る会社だけが生き残る。