先日、あるメルマガ作家が訪ねてこられた。
「武沢さん、私のメルマガは先日ようやく100号を突破しました。ブログはすでに数百のエントリーがあるので、書くのには慣れているつもりでしたが、メルマガは気分が違ってすこし緊張しますね」
「おめでとうございます。一区切りですね」
「この前、すべての号を改めて読みかえしてみたのですが、自分でもよく覚えていない原稿があるのですよ、不思議ですねえ」
「私もちょうど今、WEB改造の目玉として過去に書いてきたメッセージを体系的に整理し直しているのですが、そのためにバックナンバーのすべてに目を通しています。その中には、われながら良く書けたなぁ、と思える会心作が何本かあります」
「後から読んで、よく覚えていない原稿ってありませんか?」
「よく覚えていない? それはありませんね。7年近く書いてきた1655本の原稿すべて、どこでどんな状況で書いたか覚えています。スラスラ書けたこと、悶々と苦しんだことや、その日の気分まで、ほぼ全て思い出せますよ」
「すごいですね。私はたった100本の原稿しかないのに記憶にあまり残っていない原稿があるのです。これって何でしょうね」
「さあ?」
こんな会話をしたことを覚えている。
それから1ヶ月、日本経済新聞2007年4月20日号の一面記事『ネットと文明』で、「コピペ思考」なる単語をみつけた。
インターネット上にあるデータを見つけ出し、それをコピー&ペーストして自分の意見を付け加えるだけで、誰でも簡単にメルマガやブログ、レポートや論文が書けてしまう。
それによって、自分でもかなり考えたつもりに陥ってしまう。それを「コピペ思考」というらしい。
同記事によれば、アメリカのある大学ではネット上の百科事典「ウィキペディア」からの引用を禁止したところもあるという。
メルマガ100号の彼が「コピペ思考」だというわけではないが、もしどこか、メッセージ作りを安易に行っている部分があれば、書いた本人も内容を忘れてしまってもおかしくないと思うのだ。
「情報化社会にあっては、独創力こそ人間としての存在理由になる」
とキャノンの元社長・賀来龍三郎が語っているように、自分で考える力をもたなければならない。容易に検索でき、データにアクセスして引用できる社会になった今、書き手の環境は整ったわけで、ある意味、楽にもなった。
だからこそ、書き手は今まで以上に独創力を持たねばならないと思うのだ。
蛇足ながら、冒頭の彼との会話で、彼と私の違いを一箇所だけ発見することができた。
彼は、「原稿を書いたら読み返すことはしない」という。
私は「読み返しながら原稿を書いているし、書き終わってからもさらに何回も手を入れながら読み返す」
きっと私はその過程で自分のメッセージを自分で反芻(はんすう)しているから記憶に定着するのだろう。
コピペという行為がいけないとは思わないが、それによって、独創的に考えることの大切さを忘れないように注意しよう。