「武沢さん、社長になってから公私の区別がつかなくなりました。
夜中にふと部下のことやお客さんのことを考え出すと、目が冴えちゃってもう眠れません。こんなことサラリーマン時代にはなかった経験です」と最近脱サラしたばかりのA社長。
私の場合は、どんな状況でも夜はぐっすり眠ってしまうが、同様の話は何百回と聞いてきたのでよく理解できる。
「四苦八苦」という言葉があるが、経営者はそもそも四苦八苦する職業なのだと受け入れてしまい、眠れないことだって当然あるものだと受け入れてしまおう。
個人的なことだけでも、人生六分野とか八分野とかあるのに、それに会社のことが加わる。
社員のこと、お客のことや業績、資金、営業、技術、開発、生産、取引先、金融機関、株主、地域社会や組合、団体・・・などなど、考えるべき対象はきわめて広く大きい。
だから良い経営者になろうと思ったら、良き人間にならないと、並の人間力のままでは会社のことまで手が回らなくなる。
そうしたことから、ある一定のころから学習テーマが、宗教・思想・哲学や自然科学の分野に及ぶ経営者が多くなるようだ。
私が毎月通っている株式会社クローバ経営研究所(東京都港区、代表:松村寧雄社長)の経営セミナーでは、仏教の叡智を経営に活かす方法を学ぶことができる。
興味はあっても宗教関係の本にまでなかなか手が回らないが、このセミナーに年間10回通うだけで、ひととおりの基礎知識が身につくのでありがたい。
クローバ経営研究所 http://www.myhou.co.jp/
昨日はブッダの生涯を学んだが、彼が王子として何不自由ない暮らしをしていたにも関わらず出家したのはなぜか?
それは四苦八苦の苦しみから抜け出るための悟りが欲しかったからだという。
四苦八苦とは、
生老病死(しょうろうびょうし)の四つの苦に加えて、
・愛別離苦(あいべつりく)愛する人と別れること
・怨憎会苦(おんぞうえく)憎い人、いやな人と出会うこと
・求不得苦(ぐふとくく) 求めるものが得られないこと
・五陰盛苦(ごおんじょうく) 「色、受、想、行、識」という五つの認識からくる苦しみ。
を加えて四苦八苦という。四苦に八苦を加えて12苦あるわけではない。
まったく余談ながら、四苦、八苦、算数の九×九算の(4×9)と(8×9)を足して108になるから煩悩は108ある、とする説は間違いで、単なる偶然だろう。
ブッダが悟り、法を説いた2500年前のインドとは違って、豊かになった今の日本では、最初の「生老病死」の四苦より、後の方の四苦を抱えている人が多いように思う。
たとえば「求不得苦」(ぐふ とくく) 求めるものが得られないこと。
会社経営でいえば、売上目標が達成しない、前年割れをしている、業績が悪化し、資金繰りが厳しい、同業他社に負けている、社員が去っていく、取引先が去っていくなどは、まさしく「求不得苦」である。
一番最後の五陰盛苦(ごおん じょうく)も大きな苦しみだ。
五陰とは「色、受、想、行、識」の五つであり、
・「色」とは、肉体やな苦しみのこと。老化による容姿の衰えや、容姿に関するコンプレックスなどがこれだ。
会社ならば、もう○年もやっているのにこの程度、もう○才になるのにこの程度、という焦りがこれにあたる。
・「受」とは、感覚や印象に関する苦しみ。感受性が繊細すぎて他人の一挙手一投足に右往左往すること。
・「想」とは、知覚、想像で苦しむこと。「あの人、こう思っているのではないか」などと妄想、取り越し苦労、心配すること。
お客さんや社員の言動に気をつかうのは良いが、繊細すぎて心を痛めつけてはいないか。強く引っ張れ。
・「行」とは、意思や記憶で苦しむこと。たとえば意思が弱くてタバコや深酒がやめられないなど。自分を甘やかすのはやめて、意思の強さも鍛えていこう。
・「識」とは、認識や意識で苦しむこと。低い自己イメージや高すぎるプライドの持ち主や、何かの罪意識を持ち続けながら生きること。
自分や自社は成功して当然だと思えるような、なっとくのいく生活態度や勤務態度をもとう。
生きることには四苦八苦が伴う。それに会社経営が加わるのだからそもそも超人的なことをやろうとしているのが「社長」という職業。
それだけに見返りは大きいはずだし、他人に与える影響も大きい。
サラリーマンとは隔絶された存在が経営者だし、中でも社長という立場は孤高の存在なのだ。