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続・甲子園請負人

高校野球の部長をしていた、という福島のメルマガ読者からメールを頂戴した。

・・・
武沢先生、こんにちは。福島県で製造業を営んでおります。
(中略)
最近まで教員をしており、野球部の部長も四年間ほど経験しました。
幸いにもそのときに一度だけ甲子園でベンチ入りしたことがあり、とてもよい思い出になっていま。
最近、「がんばれ社長!」でも高校野球の話題が出ていましたので私のつたない経験も少々お伝えします。

甲子園にでられるということで選手が脚光をあびますが、それ以上に指導者が大変なんだということも知っていただきたく思います。
特に、甲子園に出たことのないチームの野球部員にとっては、甲子園出場を夢見てはいても、コミットまではしていません。そもそも本気で行けると思っていないのです。
それに学業や遊び、恋愛・失恋や人間関係などなど、いろいろと多感な青春時代の彼らをその気にさせ、厳しい練習を連日続けるということは、指導者のリーダーシップなくしてはなし得ないということです。

それにもし万一、ケガでもして日常生活や学業にまで影響がでたら、親が学校に乗り込んできます。学校もそれをおそれてか監督に練習の自粛をほのめかしてくるようなケースだってありました。
そうした中で、短時間で効率的な練習方法を考案したり、予算を捻出して他府県へ武者修行にでたりと、高校野球部の部長や監督という立場は、会社の経営者と同じくらい大変だと思います。むしろ経営者のように、雇用とか給料とかで強みをもてる立場ではないので、もっと大変かもしれませんね。
(後略)
・・・

そこで、今日は3月26日号「甲子園請負人」の続編をお届けしたい。

3月26日号
http://www.e-comon.co.jp/magazine_show.php?magid=1749

愛知の高校野球ファンの中には、「阪口監督ではもう甲子園で勝てんでしょ」と批判的な見方をする人が増えていた。
阪口監督が愛知の東邦高校を退任するまでの直近の10年間をみても、甲子園で次のように2勝7敗と大きく負け越している。

・平成 8 春 第68回 2回戦 東邦 ● 3 – 4 ○ 宇都宮工 栃木
・平成11 春 第71回 1回戦 東邦 ● 1 – 5 ○ 平安 京都
・平成11 夏 第81回 2回戦 東邦 ● 5 – 6 ○ 滝川二 兵庫
・平成13 春 第73回 1回戦 東邦 ● 2 – 6 ○ 東海大四 南北海道
・平成14 夏 第84回 1回戦 東邦 ○ 5 – 3 ● 大阪桐蔭 大阪
平成14 夏 第84回 2回戦 東邦 ● 1 – 4 ○ 智弁和歌山 和歌山
・平成15 春 第75回 2回戦 東邦 ● 5 – 6 ○ 智弁和歌山 和歌山
・平成16 春 第76回 1回戦 東邦 ○ 9 – 1 ● 広陵 広島
〃      2回戦 東邦 ● 0 – 1 ○ 済美 愛媛

昭和63年「準優勝」、平成元年「優勝」のころが指導者としてのピークだったのではないか、ともささやかれた。

そうした事情も手伝ったのだろうか、60才での定年引退を東邦高校側もあえて強くは引き止めなかった。

「先生、岐阜の大垣日大へ行ったら甲子園にはいつ出られそうですか?」と東邦高校での最後の授業で生徒が聞いた。
このとき、阪口監督は、「そうだな、二年目の春」と答えている。
そして、その通り、大垣日大高校を二年目の春に甲子園へ連れてきた。

だが、大垣日大に就任し、野球部の練習をはじめて見たときには、さすがの阪口監督もビックリしたという。
今までの経験にある「高校野球のレベルはこの程度」というイメージを大きく逸脱していた。何も基本ができていなかったのだ。キャッチボールやトスバッティングという基本動作から練習する必要があった。

練習を終えて帰宅してから、「おい、大変な所へ来てしまったぞ」と家族にグチを言い、大垣に来たことを後悔したことが何度もあったという阪口監督。

練習を厳しくすると、「もう辞める」「殺される」などと生徒が言い出す。部員がひとりもいなくなってしまっては、指導者として失格だ。自分だって辞めたいのに、生徒にそう言われては指導法を変えるしかない。
鬼をやめて、仏にした。練習中は厳しくするが、練習を終えると選手と一緒に風呂に入ったりもした。
つとめて話すことは「甲子園ってすばらしいとこだ」という話だった。

初出場で準優勝。出来すぎと思えるほどの結果を得て、今後は周囲の期待値もあがる。選手も欲が出てくるだろう。

阪口監督の今後の手綱さばきが注目される。