★テーマ別★

根拠なしでも勝負する

Rewrite:2014年3月20日(木)

裁判所やお役所は判例主義や先例主義で動いている。意思決定をするときにはまず過去の事例を調べるわけで、法治国家が秩序を維持するための知恵ともいえる。だが、会社経営でもときおりそうした光景に出くわすが、それは違うのではないかと言いたくなるときがある。

例えば新規事業を立ち上げようとする場合、マーケティングの専門家の意見を聞いたり、雑誌や書物・講演会などから成功事例を学んだりする。事業の投資額が多くなるほど事前調査を綿密に行う。こうすることで、自らの意思決定の確かさを確認したり、すこしでもリスクを軽減しようとするわけだ。これらも一つの先例主義と言えなくもない。だがほどほどにしないと「石橋を叩いて渡る」前に、橋を叩き壊してしまいかねない。

何かのフランチャイズに加盟するなど、標準化されたパッケージビジネスを行う場合には、すでに実証済みの成功モデルを利用できるわけだが、誰もやっていない事業を始める場合は先例主義はまったく使えない。むしろ何かの先例を否定することが、ベンチャーや中小企業の面目躍如ではないだろうか。

たとえば、「あそこの場所でピザ屋をやれば儲かるはずだ」、だからやってみよう!ということになったとする。この場合、「あそこの場所でピザ屋をやれば儲かるはず」というインスピレーションは、ひとつの仮説にすぎない。この仮説に対してあなたが確信を持てるということは、他の経営者も同じ確信をもちやすいということだ。従って、やがてはその場所の近くに同業店や類似点ができ、競争環境にまきこまれる羽目になる。

もし誰もその場所でピザ屋をやろうと思わないのであれば、あなたの仮説はあなただけのものになる。スリリングでリスクは多いが競争相手はしばらくやってこない。社員や家族、銀行など「身内」の反対が多いときもある。しかし、そうした修羅場をくぐり抜け、成果で証明した経験だけがあなたを一回り大きくする。
「カリスマ」とよばれる個人的吸引力も、こうした体験から生まれるものである。未来を根拠もなく信じることができるかどうかだ。信じることに知性はいらない。

単なる山勘にもとづくギャンブルと、周到に練られた直感的行動とは別ものである。先例主義や実績主義にばかり頼らず、明確な根拠がない仮説にも賭けることができる経営者になろう。