夏に道へ水を打てば涼しくなる。冬にストーブにヤカンをおいておけば湯も沸くし乾燥対策にもなる。科学を知らなくても人が編み出す経験の知恵は大したものだ。
半世紀前の経営者が今の経営者ほど知識や情報を持っていたとは思えない。だが、そんな彼らが編み出した知恵の多くは、実に理にかなったもので効果的なものが多い。
そんな一例として、究極のクレーム処理法を開発したヘンリーおじさんのことをドラッカーは次のように書いている。
・・・
(ベルンハイムというデパートを経営していた)ヘンリーおじさんは、クレーム処理の仕方も独特のものを開発していた。
クレームを受けた者はいつでも大声で「クレーム担当副社長!」と大声で周囲の誰かを呼びつけることができる。
すると近くにいた35歳以上の誰かが飛んでいって自己紹介をし、「いかがされましたか?」と聞く。
ひととおり顧客のクレームを聞いたあと、「当ベルンハイムでは、そのようなことはあってはならないことです。おい担当は誰だ、連れて来い」と言う。
近くの店員が顔を出す。「お前はクビだ」。驚いた客がクレーム担当副社長をなだめる。担当が泣き出す。そこで仕方なく執行猶予にしてやる。お客が帰る。するとただちにクレームの徹底調査を行う。
怒鳴られ役をさせられた店員には、後で特別手当てが出る。
・・・
(「ドラッカー わが軌跡」ダイヤモンド社 より)
ヘンリーおじさんが開発したこの方法が、今も使えるかどうかはわからないが、どこか余裕と愛嬌を感じる”システム”ではないか。
もうひとつある。
大恐慌時代になって、ヘンリーおじさんのお店でも店員による商品の盗みが増えた。
他店では、透かし鏡をつけたり監視員を配置したりして社員の不正を見つけ出そうと躍起になったものだが、効果はなかった。
ここでもヘンリーおじさんは知恵を発揮した。
・・・
うちの店では正常な減耗率(ロス率)というものを想定してみた。半年ごとの棚卸しで、その率以下だった売り場には特別賞与を出し、月給2%分の商品券と、何%分かの割引券を支給した。そうしたら減耗率は一挙に下がり、正常な率のはるか下で収まってしまったんだ。売り場ごとの取り組みが進んだんだ。
・・・
(前著より)
人間中心の経営とはこういうことを指すのだろう。
ヘンリーおじさんのデパートは後継者の孫が大手デパートチェーンに売った。株式交換でもらった大手デパートの株をヘンリーおじさんはすぐに処分してしまったという。
理由は、「チェーンの連中と話したとき商品を店のために仕入れていることに気づいたから。商品はお客のために仕入れねばならないのに」2年後、この大手デパートは本当に客足も売上も利益も減り始めたという。
ヘンリーおじさんのように現場に精通し、人の心を理解でき、経験則のなかから知恵を出せる人材は宝ものである。
日本の製造業や建設業にはそうした経験志向の人材がたくさんいた。
だが、私たちは「KKD」による経営を排除しようともしてきた。
「KKD」とは、勘・経験・度胸の頭文字だ。
だが、正しくは「KKD」のみに頼るのは危険という意味であって、KKDがなければその真逆の論理と科学だけの経営に陥るのだ。
他人が開発した知識や理論だけに依存するのではなく、私たち自身の知恵を発揮した経営が大切なのである。
ドラッカーはこの講で、こう結んでいる。
・・・
半世紀前、人々はあまりに経験志向だった。システム、原理、抽象化が必要とされていた。
しかし今日では、われわれは逆の意味で再びヘンリーおじさんを必要とするに至っている。
プラトンの言うように、論理の裏付けのない経験はおしゃべりであって、経験の裏付けのない論理は屁理屈にすぎないのである。
・・・