先週「ボージョレー・ヌーヴォー」が解禁になった。関係者は毎年のように「今年は当たり年」と言っているが、それを実感できる年はあまりない。今年のワインも「こんなものかな」という印象だが、おそらく来年も、縁起物かなにかのように解禁日にいただくだろう。
紅葉もそれと似ていて、旅行関係者のホームページでは毎年のように「今年は紅葉の当たり年」とアピールしている。「紅葉(スペース)当たり年」で Google 検索すると、今年だけでなく昨年も一昨年もその前も当たり年ということになっている。桜見物の当たり外れは聞いたことがないが、紅葉に関してはそれが存在する。しかもかなりの落差でもってデキの良し悪しがある。
先週末、息子を連れて京都に行ってきた。お目当てはもちろん紅葉で、大原三千院・詩仙堂・曼殊院・東福寺と洛北・洛中・洛南のすべての紅葉を見てまわるという弾丸コースである。
京都駅に降りたっただけでも満足、というほど京都好きの息子だが、紅葉に関してはかなり目が肥えている。なにしろ初めて紅葉を見たのが 2006年で、その年はまれにみる当たり年だったのだ。
そのとき東福寺、泉涌寺、永観堂で見た鮮やかな紅葉の発色はこの世のものとは思えないほど美しかった。東福寺の苔むした庭に落ちた真っ赤なもみじは極彩色で、緑と赤の絨毯を連想させた。
その感動が忘れられず、2007年、2008年、2009年、2010年と 5年続けて二人で京都に来たが、2006年以外はいずれも「あれれ」「おやおや」と落胆し、2010年にいたっては二人とも「……」と無言になった。ついに 2011年から 2013年にかけては息子は欠席するようになり、私ひとりで京都まで来た。そしていずれの年も紅葉は NG だった。
「今年は当たり年」とたくさん報じられていたせいもある。「久しぶりに一緒に行く?」と誘うと、「OK」という答えが返ってきたのだった。
京都駅から大原三千院まではバスで一時間。まだ午前 8時だというのに始発駅からほぼ満席で、途中から立ち席の人が目立ってきた。市内の鴨川沿いに並ぶ木々はちょうど良い塩梅に紅葉している。中には真っ赤に染まったもみじがあり、「この景色だけで充分だね」と息子。
ひょっとして洛北エリアは気温が低く、紅葉が終わっているかもしれないと案じたが、三千院はまだ見頃が始まったばかりだった。広い庭園を散策しながら紅葉を楽しんだ。正確に書けば、紅葉のデキは今ひとつだったので、寺庭の散策を楽しんだ。
洛中にある詩仙堂や曼殊院の紅葉は三千院のものより発色が美しかった。特に詩仙堂の庭にある楓の巨木は鮮やかだった。さらに、洛南の東福寺に向かった。名物の「通天橋」(つうてんきょう)の紅葉よりも、東福寺駅から向かう道中の木々が鮮やかだった。なので、通天橋は反対側から見ただけで入場せずに引き返した。
総括すると過去二番目に美しい年と言えそうだが、2006年を 100点とするなら 65点というところか。それでも今年は「当たり年」の部類に入るだろう。であれば 2006年は「スーパー」を付けるべきかもしれない。次に「スーパー当たり年」の紅葉を見られるのはいつになるのだろう。少なくともその日までは紅葉親子旅は終われない。