「時間」というものは相対的なものであることをアインシュタインが証明したが、時間と距離を使って求めることができる「早さ」も相対的なものである。早さは気分的なものではなく、絶対的なものでもない。早さも相対的なものであるという発見は大きな驚きをもたらした。
鈴鹿のスタンドに座って見ることができるのは時速 350キロで突っ走る F1レースカー。それはジェット機の離陸より早い。では、あなたもコースに降りてマイカーを時速 150キロで走らせながらそのレースカーを見てみよう。すると、350キロで走っている車が運転席からは 200キロで走っているように見えるはずだ。「早さ」も相対的だからである。
「時間」や「早さ」が相対的なものならば、「若さ」や「老い」も相対的である。例えば、光と同じ早さで移動する宇宙船に乗っていると、時間の経過が遅くなる。その結果、地球上に帰還するとあなたは他の人より若くなっている。
宇宙船に乗る、というようなことはまだ現実的ではないので実感がともないにくいかもしれない。それに近い感覚としては、予定が一杯つまったスケジュール帳をもとに分刻みで仕事をし、世界を飛びまわっている人と、何もすることがなくて家でゴロゴロしている人とでは若さに差がついて当然だろう。その積み重ねは心の若さ、物理的(肉体的)な若さの差になる。
昭和の時代にくらべて現代人は若くなった。映画やテレビをみていても最近の役者の方がはるかに若々しい。それは栄養事情や美容、ファッションなどのせいもあるが、私たちの生活環境が”光速化”している影響も大きい。
若さを手放したければ次のことをするが良い。
・仕事をやめるか、極端に減らす
・趣味や生き甲斐をもたないようにする
・幼なじみと一緒に昔話をしながら明け暮れる
・大自然にかこまれておだやかに過ごす
・朝日とともに目覚め、晴耕雨読し、夕陽とともに床につく
それが良いこととも悪いこととも言えない。時間も若さも相対的なものであるとわかった上で、個人が選択するライフスタイルの問題である。