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どこに座るか

革新を起こす上で大切な精神は、心にいつも疑問符を灯すことだ。
浅い理解で終わらせることなく、浅いアイデアで納得することもなく、ひたすら掘りさげて掘りさげて、心の芯に届くまで考えぬこう。

ノーベル賞をとるような学者の多くは、先人の業績を尊重しつつも、その上にさらに新しいことを積み上げようとする気性を持ちあわせている人が多いようだ。
日本では京都人にそうした気性のもちぬしが多いのだろうか、自然科学分野における日本人のノーベル賞受賞者9名のうち、なんと7名が京都にゆかりの人なのだ

そのあたり、元・京大総長の平澤興氏は『現代の覚者たち』(致知出版社)の中で次のようなお話しをされている。

・・・湯川、朝永、江崎の三氏は物理学での受賞です。これにはいろいろの原因があり、京都の自然とか、京大の個性を尊ぶ自由の空気なども関係しているでしょう。
しかし京都の三高に物理学の先生で、森総之助という素晴らしい独創的な物理学の先生がおられたんです。この三氏は、森先生の教え子です。つまり、ノーベル賞のもとは森総之助なんです。
で、湯川君なんかは頭の回転の早い、いわゆる頭のいい人じゃなかったようです。大体、頭がいいとか悪いということが、実際どういうことなのか私にもよくわかりませんが、湯川君なんかは、すぐわかったような気持ちになる粗末な頭ではなく、わかるまで徹底的に考えぬく、限りない深さをもった頭ですね。
(後略)
・・・

※『現代の覚者たち』(致知出版社)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4884741595/
(書き込みのカスターレビューが情けないが・・・)

そういえば、京都非凡会では議論を吹きかけてくる若者がいる。

「武沢さんの講演を聞いてどうにも納得できない箇所があるので質問したい」と二次会の宴席になっても執拗にくいさがってくる好青年・T君もたしか京都大学の理工系だ。

安易にわかったようなふりをしないことが学ぶ上では大切なことだ。
だからといって、錯覚してはならないことがある。
わかったふりをしないとは言っても、熱心に聞くことが大切なのは言うまでもない。聞く姿勢まで批判的になってしまったり、傍観者的になってはならないのだ。

そのためには、最前列正面に腰かけるのが良い。それができなければ、少なくとも前から3列目までに腰かけることが重要だ。
そうした学習者に対しては講師としても真剣に接しようという気になる。
そもそも後方で聞くと、それだけで人間心理として講師や会に対して傍観者的になってしまうものである。

ある講演会で、席の前方後方の人をシャッフルしている講師がいたが、それも面白いと思った。

整理しよう。

心に疑問や課題をもち学習しよう。すぐにわかったふりをするのは理解の深まりを妨げかねないので要注意だ。
だからといって、最前列中央で熱心に学ぶことが大切であることには変わりない。後方で聞くと、ただそれだけの理由で傍観者的になり、その場に来ている意味が薄くなってしまう。

学習においては、どこに座るかが大切な岐路である。