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しんぱいするな

「しんぱいするな、なんとかなる 一休」と書かれた遺言をのこし、世を去った一休さん。最後の最後までトンチがきく人だったようだ。

それもそのはず。
この言葉が入った遺言状は、本当に困りに困ったときしか開けてはならぬ、ときつく言い渡して彼岸へ旅立ったのだ。

残された人たちは、力をあわせがんばった。

しかし世の常、困ることがたびたびおこる。でも本当に困った時にしか開けられない。
「これぐらいのことで遺言状を開封していては一休禅師に申し訳が立たない」とみなが一致協力して難関を乗り切っていった。

もし、一休さんが「みなで力を合わせよ」という遺言を残したとしたら、果たして同じような効果が得られただろうか?
「本当に困ったときしか開けてはならない」と言い聞かせたからこそ後輩たちは育ったのだろう。

つまりそこに書かれてある遺言は何でも良かったわけだ。ひょっとしたら白紙でも良かったのかもしれない。

しかし、「しんぱいするな、なんとかなる」という言葉は、はぐらかしたユーモアのようにも思えるが実はこれも禅的な意味で大真理なのだろう。

実は、何ともならない問題なんてひとつもないのだ。私たちが何かに執着する気持ちがあるかぎり、何ともならない問題ばかりとなる。
反面、どこかでこだわりをすてれば、何ともならない問題なんてひとつもなくなるという教えなのだろう。

そういえば、たしかに今まですべてが何とかなってきているではないか。
何とかなるか、何ともならないかは、ひとえに自らの心の在りようなのだ。