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地獄 その2

<ダンテの神曲について、昨日の続き>

何一つ悪いことをしてこなかったというような人はいないだろう。
誰にも良心の呵責にさいなまれるような行為の一つや二つ、あるはずだ。

人間なんだから、ちょっと位の罪は許されると思いたい。だが、甘えっぱなしでいるととんでもないことになるのは、700年前にダンテが「神曲」で指摘している通りなのだ。

ダンテいわく、地獄界の階層構造は以下のようになっているという。
つまり、次のような人が地獄に行くというわけだ。私なりの理解と解説を※印の箇所で加えてみた。

・地獄の門 「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」

※ちょうど修行僧が山門に書かれた文字をみて気持ちを引きしめるように、地獄の門に立つ者がこの言葉をみる。いかなる気持ちだろうか。

・地獄前域 …無為に生きて善も悪もなさなかった亡者は、地獄にも天国にも入ることを許されず、ここで蜂や虻に刺される。
※地獄にすら入れない人だっているということに驚きを感じる。無為とは恐るべし。

・第一圏…洗礼を受けなかった者が、呵責こそないが希望もないまま永遠に時を過ごす。
※これは多分に宗教的だ。クリスチャン以外であれば「真理を求めようとしなかった人間がここで過ごす」と理解しておこう。

・第二圏…肉欲に溺れた者が、荒れ狂う暴風に吹き流される。
※性欲のコントロールに失敗するとこうなる。

・第三圏…大食の罪を犯した者が、引き裂かれて泥濘にのたうち回る。
※大食って立派な罪なのだ、と気を引き締めよう。

・第四圏…吝嗇(けち)と浪費の悪徳を積んだ者が、重い金貨の袋を転がしつつ互いに罵る。
※ケチも浪費もやっぱり罪だ。

・第五圏…怒りに我を忘れた者が、血の色をしたスティージュの沼で互いに責め苛む。
※叱るのはよいが、我を忘れるほどの怒りになってはいけない。その境界線を自分の中に持っていよう。

・第六圏…あらゆる宗派の異端の教主と門徒が、火焔の墓孔に葬られている。
※これも宗教的な箇所。ここでは、社会的に認められていない新興宗教を信奉すること、としておこう。

・第七圏…他者に対して暴力をふるった者が、暴力の種類に応じて振り分けられる。(隣人に対する暴力、自己に対する暴力、神と自然と技術に対する暴力)
※なるほど、暴力にもいろいろ種類があるということだ。

・第八圏…悪意を以て罪を犯した者が、それぞれ十の「マーレボルジェ」(悪の嚢)に振り分けられる。

女衒(婦女を誘拐して売る者)、阿諛者(たいこもちの過ぎた者)、沽聖者(聖物や聖職を売買し、金で汚す者)、魔術師(卜占や邪法による呪術を行う者)、汚職者、偽善者、盗賊、謀略者、離間者(不和・分裂の種を蒔く者)、詐欺師など。
※この中だけでも気になるものが一つ二つある。

・第九圏…裏切り者が「コキュートス」(嘆きの川)と呼ばれる氷地獄に入れられる。
肉親に対する裏切者、祖国に対する裏切者、客人に対する裏切者、主人に対する裏切者
※肉親や主人を裏切るのはよくないことは我々にもすぐ理解できるが、祖国や客人までも加えてある点が歴史と文化の違いを感じる。
だがたしかに、祖国愛、客人愛はとても大切なことだ。

私は地獄のどこに入るのだろうかと心配になってしまうほど、ほとんど全てに心当たりがある。
これを更に拡大解釈して会社経営者に当てはめてみるとこうなった。

次のような経営者は地獄へ行く。

地獄前域:会社経営に対して何の希望も目的も持たずに過ごしてきた人たちの集まる所。

第一圏:経営理念や経営哲学を持たずに会社経営してしまった人たちの集まる所。

第二圏:不倫やセクハラなどをした経営者たちが集まる所。

第三圏:大食や大酒など、欲に負ける食生活を続けた経営者が集まる所。

第四圏:ケチと浪費。会社の経費について、予算という概念ではなく、その時の気分や惰性だけで金銭を使う経営者が集まる所。

第五圏:怒りに荒れ狂うことがしばしばある経営者が集まる所。

第六圏:特定の(新興)宗教を信奉するように社員に課す経営者が集まる所。

第七圏:他人に対する暴力はもちろん、他社に対して必要以上に攻撃的になる経営者が集まる所。

第八圏:故意や過失かは問わず、お客や社員を欺くことをした経営者が集まる所。

第九圏:誰かを裏切ることをした経営者が集まる所。
「誰か」とは、理念・社員・顧客・パートナー企業・金融機関・業界・祖国・友人・家族などなど。

ではどういう経営者が天国へ行くか。
それは神曲の「天国篇」を読んでから書いてみよう。