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S社長の迷い

「武沢さん、人の為と書いて偽り(いつわり)と読むように、会社経営もお客や社員のためにやっているようでは偽りのそしりを免れない。もっと正直に、”自分が儲けるためにやっている”と言いきる勇気が必要だと思う」とS社長。

私が経営理念について語った講演会のあとでの質疑応答だ。こんな質問、タイミングがマズイでしょう。いや、最高かな。

「なぜそのように思うのですか」と理由を尋ねると、S社長は今まで「顧客第一主義」という経営理念を後生大事に守ってきた人だという。
だが、いつまでたっても売上や利益が伸びない。

そんなある日、S社長が尊敬している社長(大企業の)から直接教えを請う機会があったそうだ。最近の伸び悩みを告白したところ、

「S君、まず儲かる会社を作ることが先決で、その後に経営理念うんぬんを語るべきだ。順序というものがあるのだよ。もしあなたの会社の経営理念の存在によって儲かる会社作りのジャマになっているのなら、そんな理念など捨ててしまえ」と。

それを聞いた私は、渋沢栄一翁の「道徳経済合一説」の話を切り出して、儲かる会社作りと道徳的にも立派な会社になることとは何一つ矛盾しないと説いた。

すると、さらにS社長は粘る。
「私の尊敬する社長(大企業の)いわく、そもそも『道徳』なるものは時の権力者が大衆を治めるためにデッチあげたものである、という。
だから、道徳=すばらしいもの、とも言えないと思う」

道徳の否定まで飛び出しては議論にならないので質疑応答は打ち切った。だが、S社長が尊敬しているという大企業の経営者って一体何者なんだろうかと疑問に思った。二次会でS社長に聞いたところ、それは誰もが知っている有名な会社だったが、大会社のサラリーマン社長の発言を鵜呑みにしては危険である。

彼らはゼロから組織を作り上げていく経験がない。理念の大切さを実感せずに大きくなったかもしれない。
もちろん尊敬に値する大企業の経営者もたくさんいるが、中小企業や零細企業、中堅企業、ベンチャー起業、自営業などなど、一国一城の主には、崇高な理想と理念がなくて何するものゾ、と申し上げたい。

「義を見て為さざるは、勇なきなり」
(人として当然なさねばならなぬ正義と知りながら、自分の利害のみをはかって実行しないのは、真の勇気がないからである)という孔子のことばを忘れてはならないのだ。

「”自分が儲けるためにやっている”と言いきる勇気が必要だと思う」というS社長の勇気って、真の勇気なのだろうか。