今から10年前。
「おまえんとこはそんな事も出来んのか?」
自分の息子くらいの年令だろうか、まだ社会人3年目くらいの若者から頭ごなしに怒鳴られた工藤社長(仮名、55才)。
頭突きしてやりたくなるほど屈辱的なことも言われた。
「何とかしてあの大手自動車会社から注文がほしい」と、あらゆるツテをたどってようやくこの小口注文をもらったのだった。しかし、品質と価格の要求が今までとは別世界なほど厳しい。
「完璧な仕事をやったつもりだったのに。これ以上のことはいまのウチでは無理かもしれない」と工藤はギブアップしたかった。
だが工藤は、この取り引きに社運と人生を賭けていた。ギブアップする余裕などない文字通り背水の陣だった。息子世代に罵声を浴びせられることなど何でもない。
すでに工藤の会社は完全に行き詰まっていたのだ。うつ病にも苦しんでいたし、自殺を真剣に考えたことも数知れずあった。
「イザとなれば親戚も友人も誰も助けてくれない」中、奥さんの父親だけが親身に話を聞いてくれ保証人になってくれた。しかし、そのお金も底をつきかけたとき、工藤は開き直るしかなかった。
怒鳴りの担当者の罵声にもたえて、工藤は発奮した。
彼の誠実な努力ぶりと人柄が伝わったのだろうか、わずかのうちに工藤は信頼を獲得し、怒鳴りの担当者は工藤を慕うようになっていた。
そして、ある日のこと。
工藤に対して「社長、こんな製品を作れませんかね。もし本当にこんなのが作れたら、ウチの会社だけでなく自動車業界全体からも注文が舞い込みますよ」とある工作機械のアイデアをもちかけた。
工藤は寝食を忘れてその機械作りに取り組んだ。そして、ついに三年がかりでそれを完成させた。特許も取得した。
今、工藤の会社は舞い込む注文をこなし切れないほどの超多忙だ。業績も急回復した。ありとあらゆる節税策を駆使し、申告所得を抑えてはいるがそれも時間の問題で億単位の利益が出はじめる会社になるだろう。
当然のように、工藤の車もカリーナからウィンダムに進化した。油にまみれた作業着ではなく、ミラショーンのスーツにネクタイを締めて外出することも多くなった。もっとも遊興が苦手な工藤のこと、ほとんどが勉強のための外出だ。保証人になってくれた亡き義父のことを思い出すと、今でも涙があふれて止まらない。
心の余裕が生まれ、会社の将来のことを考えるようになった。武沢の経営講座に通って「5ヶ年経営ビジョン」も完成させ、今年その社内発表も行った。
そして先日、社員アンケートをとってみた。いつのまにか社員数が22名にふくれていたので、彼ら一人ひとりの気持ちが分からなくなり始めていたからだ。
アンケートをみて、工藤は失望した。いや、ショックだったと言うべきか。
社員から届いた意見は手厳しかった。
・社長はご自分の夢や野心を実現されるいくのは結構なことですが、
私たち社員を「道具」としてみておられるようで寂しいです。
・社長のお話は長くてくどいので、結局なにが言いたいのかわからず、
仕事していたほうがマシだと思います。
・社長の話は参考にはなるが、今の自分には関係ないです。
・いつまでも働ける会社ではないとおもいます。
・・・etc.
10年前、怒鳴りの担当者から浴びせられた罵声よりグサッときた。
「どうしよう・・・」
工藤は武沢に相談してみることにした。
<明日に続く>