志や決心というものは塩のように溶けやすい。朝、あれほど強く心に誓ったのに昼になると流されてしまっている自分がいる。小さな目標なら小さな我慢、小さな努力ですぐに手に入るが、大きな目標を実現するには、強い念持(ねんじ)が必要である。
江戸時代の国学者で塙 保己一(はなわ ほきいち)という人がいる。武州(今の埼玉県)の小さな村で百姓の子として生まれた保己一は 5歳の時にかかった病気が原因で視力が弱くなり、ついに 7歳で失明してしまった。11歳で、最愛の母を亡くした保己一(ほきいち)は、「自分ほど不幸な者はいない」と思い、投身自殺をはかる。ところが母の形見の巾着が手に触れ、自殺を思いとどまった。
盲人の伝統的な職業である ”あんま”、”はり”、芸能(三味線、琴)の世界をすすめられた。保己一も修行を始めたが、いかんせん手先が不器用で人より劣る。それに保己一自身、そうした職業に打ちこめなかった。やがて盲人社会のなかでも保己一は落ちこぼれになっていく。
しかし、子どものころから保己一には人並みはずれた才能があった。それは、お寺の和尚さんや母親に「太平記」などの物語を語ってもらうと、それを一言一句たがわずに暗記し、再現することができたのだ。「この子の目がきちんと見えれば、文字を覚えて立派な学者になれたのになあ」と周囲は惜しんだ。
いまのように点字がない時代である。盲人が学問することなど不可能に近い。それでも保己一は、「私は学問で身を立てる」と言いだした。周囲は猛反対した。「文字を何もおぼえていないうちに盲目になったのに、これから先、いったいどうやって文字を覚え、学者になろうというのだ」と。
保己一は、江戸に出れば「太平記読み」という職業があると聞いていた。今でいえば「講談師」のようなもので、語りだけでお金をいただく仕事である。たくさん本を読み、読んだことを人に語るのは自分の性分にあっていると保己一は江戸へ出る決心をする。太平記読みをしながら、学者を目ざそうと考えた。ところが江戸ですぐに仕事もない。盲人のグループに入り、”あんま”、”はり” の仕事で糊口をしのいでいた。
「天は自ら助くる者を助く」という。保己一の情念がやがて、周囲に理解者、協力者をつくっていくことになる。保己一に物語を読み聞かせてくれる人、ひらがなや漢字を掌に書いて教えてくれる人、食事のとりかたを注意し教えてくれる人、本をプレゼントしてくれる人、お伊勢まいりの費用を出してくれる人…。彼はそんな人たちのためにも絶対に学者になって自分にしかできない仕事をしようとかたく決心する。
だが保己一は、怠け心に負けやすいタチだった。すぐに気持ちがくじけてしまうのだ。「官位(収入)を得て学者になる」という決心だけは絶対にくじけるようなことがあってはならない。そこで保己一は、今後千日間、毎日天満宮に行って「般若心経」を百回唱えることを誓い、それを実行した。1,000日× 100回で 10万回の読経である。般若心経は一回あたり 2分半かかる。それを 100回唱えるためには毎日 4時間以上を読経に割いたわけだ。それ以外の時間はもちろん全身全霊で仕事と学問に励んだ。すると、千日もせずに官位が得られ、学者になることができた。
保己一は飛び上がって喜んだ。しかし同時に、自分を恥じた。
自分ひとりの利益のために般若心経を唱えていたことを恥ずかしく思い、これからは社会のため、日本の文化向上を願って身命を賭す誓いをたて、新たなきもちで般若心経を毎日 100回唱えることにした。
そのことがやがて、世紀の大事業につながろうとはこのときの保己一も周囲もだれひとり知らない。
★塙 保己一(ウィキペディア)
→ http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=4004
<参考:『塙 保己一とともに』(境 正一著、はる書房)>
http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=4005
<明日につづく>