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志に生きる人

私は自分の人生の進路を誰かに相談して決めたことは一度もない。
決まって一人で決断してきた。決めた後に相談したことはあるが、それは報告に近い相談だった。そして、決めたことを後から変更したこともない・・、と言いたいが未成年のころに一度だけある。

ある日、わたしは自衛隊に入ろうと決意した。岐阜市で入隊試験まで受け、合格通知を受け取った。

「日本のために役立つことをしたい。自分が世の中に必要な人間だということを実感したい」と思い願い、誰にも相談せずに決めた自分の進路だった。

夜になって両親に告げた。ある程度の反対は想像していたが、予想の百倍きつい猛反対を浴びた。勘当される寸前のところまで行った。
だが、一度自分で決めたことを容易に覆したくなくなった。勘当されるのを覚悟で一歩もゆずらない私。不穏な空気のまま数日間が過ぎた。

その間、親による包囲網が知らぬまに私の四方八方に張り巡らされていたようだ。親戚縁者や学校の先生が日替わりで私を説得にくる。
10年以上ごぶさたしていた大好きなおじさんまで、遠路はるばる会いにきてくれたりした。結局、このとき私は自衛隊入隊を断念したが、日本のために役立つことをしたいという気持ちは今でも変わっていない。

親の言うこと、親戚や親友が言うこと、その道の専門家が言うことは尊重しなければならない。ただし、唯々諾々とそれらに従っていては自分の運命の支配者として失格だ。なぜ自分はそうしたいのか、その心の奥底の叫びを聞いてもらわないかぎり、世間は他人に対して、常識的で無難な道を歩ませたがるのだ。

政治家だって負けちゃいけない。有権者に指示されず、一度や二度落選したからといって、志を変えるようでは情けない。スキャンダルや事件を起こして落選したとしても、若気の至りを反省してまた立ち上がってこなければならない。
ましてやビジネスにおいて、お客に断れた、ニーズがなかった、ビジネスとして成立しなかったなど、問題でもなんでもなく、情報の一部として考えるべきだろう。

次のような人をあなたは失敗者だと言うだろうか?

1809年 ケンタッキー州の貧農家族に生まれる
1831年 (22才)ビジネスに失敗 
1832年 (23才)地方議員選挙に落選 
1833年 (24才)ビジネスに再び失敗 
1834年 (25才)地方議員選挙に初当選 
1835年 (26才)最愛の恋人が死去 
1836年 (27才)自ら神経衰弱の病にかかる 
1838年 (29才)議会で敗北
1840年 (31才)大統領選委員選挙に落選 
1843年 (34才)下院選挙に落選
1846年 (37才)下院選挙に当選 
1848年 (39才)下院選挙に落選 
1855年 (46才)上院選挙に落選 
1856年 (47才)副大統領選挙に落選 
1858年 (49才)上院選挙に落選 
1860年 (51才)「丸太小屋からホワイト・ハウスへ」のキャッチコピーで大統領に当選
1861年 (52才)南北戦争勃発
1863年 (54才)「人民の人民による人民のための政治」・・ゲティスバーグで歴史に残る演説
1864年 (55才)大統領選に再選
1865年 (56才)南北戦争終結、黒人奴隷解放
        ワシントンのフォード劇場で観劇中に暗殺
        合衆国憲法修正、同国内の元奴隷すべてに公民権付与が決定

50才までは失敗のオンパレード人生だ。だが、今となっては、多くの都市が彼の名にちなんで命名されている。ネブラスカ州の州都は彼の名前そのものであり、ワシントンD.Cには彼の名の記念館がある。
5ドル紙幣および1セントコインには彼の肖像が採用され、サウスダコタ州のラシュモア山国立記念公園に顔を彫られている大統領の一人でもある。彼の誕生日2月12日は、1892年に連邦の休日と宣言されたが、後にジョージ・ワシントンの誕生日と併せて大統領の日とされている。
今では、彼の名前の航空母艦や高級自動車まである。

もうおわかりだろう、この人こそ他ならぬ米国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンである。彼が勝利らしい勝利をおさめたのは、51才と55才のときの大統領選だけで、あとは全部失敗だ。
だが、失敗とは挑戦をあきらめることを言う。そうした意味で、リンカーンは決して失敗者ではない。

かさねて申し上げたい。人の評価で自分の未来を限定的に見てはいけない。親の言うこともその道の専門家が言うことも、有権者が言うことも間違っているときがあるということだ。
何よりも大切なのは、あなたの魂の叫びにあなたが正直に応え続けてあげることなのだ。そういう人を、「志に生きる人」というのだろう。
経営者は、志に生きる人であり続けてほしい。