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フロリダします

ある社長が夜10時ごろスタッフとグループチャットしていたら意味不明な発言が目に飛び込んだ。
ひとりのスタッフが「俺、その案はありよりのなしだと思います」

「ありよりのなし?ありよりという町で獲れる梨のこと?」
社長が意味を問いただしたところ、「良さそうにも思うが反対」という意味らしい。
逆に、「問題はありそうだが賛成」という場合は「なしよりのあり」になる。

なんだ、それは!
社長は腹立たしくなり、「こういう場では俗語を使うな」と苦情をいうと、先ほどの若者が「もう遅いし、俺、フロリダします」と言い残して退席してしまった。
「今からフロリダ?」と社長が問いかけてもフロリダ男は返答しない。
別のスタッフが教えてくれた。
「風呂に入るから離脱する」という意味らしい。

「ネットじゃ結構当たり前に使われてますよ」と言われたが、社長はそんな「当たり前」は聞いたことがない。まだ50歳なのに、急に自分が古い男に思えてきた。

「当たり前」という言葉そのものも、当たり前じゃない成り立ちをしている。中国から入ってきたときは「当然」という言葉だけが入ってきた。いつしか我々の先祖がそれを「当前」とも書くようになり、それがますます発展して「当たり前」と書かれるようになったらしい。
「フロリダ」も「当たり前」も大差ないようだ。

「当たり前」といえば、こんなプチ事件があった。
あるセミナー会場で講師の私にむかって「武沢先生はコンサルもされてるのですか?ちょっと意外です」と女性経営者に言われたことだ
コンサルタントがコンサルティングするのは当たり前と私は思っている。
「武沢さんはコンサルもされるのですか?」とは、まるで寿司屋に入って「マグロもあるのですか?」と聞くに等しい。

彼女がセミナーに参加されるのはそのときが5回目くらいだが、私のことを今まで何だと思っていたのだろう?
セミナー講師業以外のことはやっていないと思っておられたのかもしれない。

コンサルタントが講師をやり、講師がコンサルティングもする。そんなことは当たり前だとこちらは思っているが、彼女にとっての当たり前は別なのだろう。

「当たり前」と思うことが多くなると、人は感動しなくなり、不平や不満が増える。成長も止まる。
「当たり前」の反対は「ありえない」か「有り難い」だろう。
「ありえない」とか「有り難い」という気持ちがたくさんあれば、心はいつも躍っている。

年をとると経験値が増え「当たり前」が増えていく。
挨拶してくれて当たり前、お礼を言われて当たり前、自分のことを知っていて当たり前、それぐらいやってくれて当たり前・・・。

「当たり前」と思う気持ちをなくすのは難しい。だったら「当たり前」の内容を次のように上書きしてみてはどうだろう。

・自分のことは誰も知らないのが当たり前
・自分は国内(社内)で一番後輩で未熟者あることが当たり前
・周囲はだれも協力してくれないのが当たり前
・自分はまだ何も知らないのが当たり前
・売れないのが当たり前

そうしたら、「フロリダ」といわれても腹立たしくならずに済む。