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我以外 皆 我師

友人から進物が届いた。友人が住んでいる町で大人気のチーズケーキセットだという。箱をあけた家内は大喜びで「私は和菓子より断然、洋菓子が好き。紅茶をいれなきゃ」とテンションが高い。「あなたは和菓子派よね?」と聞くので、私は平然と「我以外、皆、わがし」とシャレを言った。だが、まったく通じなかったみたいだ。

我以外皆我師(われ いがい みな わがし)は論語の教えを元にして作家・吉川英治氏が『宮本武蔵』のなかで用いたことば。読んで字の如く、自分以外のすべての人が先生であるという意味である。たしかに、幾つになってもどこにいても学ぶべき人がたくさんいる。

今年から水泳を始めたが、M さんという教え上手、褒め上手の美人指導者と出会ったおかげで楽しくなった。しかしビート板で 25メートルバタ足をすると最初のうちは 2分以上かかった。1秒で 20センチしか進まない計算で、亀の歩み寄りまし、という程度である。その割には足が激しく疲れ、息が完全にあがってしまう。自分で乗り越えねばならない最初の壁にぶつかっていた。

足首の力を抜いてキックするコツのようなものをつかむと時間が一気に 70秒に縮まった。それでもまだ息があがってしまう。男性の平均時間(約30秒)に比べると 2倍以上かかっているし、上級者平均(15秒)に比べると 4倍以上と話にならない。つまり、私のバタ足は回数が異常に多いわりに推進力がまるで足りないというわけだ。

自分のバタ足のどこに問題があるのか分からない。「初心者教室」でコーチに言われたことはすべてやっている(つもり)。なので、あとは反復練習あるのみなのだろう。少なくとも昨日まではそう思っていた。ところが予期せぬ所に私の「師」がいた。

つい先日の朝のことである。私の隣のレーンで同世代の女性が美しいフォームで泳いでいた。ややぽっちゃりした体系ながら悠然と泳ぎ、しかもスピードに乗っている。「あのようになりたい」と思って泳ぎを見ていると、彼女も休憩した。目で挨拶をおくると、白い歯を見せて話しかけてくれた。

「この前初心者教室に見えた方ですよね」。「あ、はい」どうやら先週、同じ教室にいたらしいがこちらは余裕がなかったので覚えていない。「バタ足がうまくいきません」と私が苦笑すると彼女は驚くべきことを言った。

「先ほど見たら、両足が水平になってましたよ。親指同士が当たるくらいに内股にされた方が推進力が出るんですよ」という。どうやら彼女は、すれ違いのときに私の泳ぎをチェックしていたようだ。その観察眼の鋭さに内心で舌を巻いた。

「内股というとこんな感じですか?」と私はプールサイドにつかまってバタ足をやってみせた。すると彼女は私のレーンにやってきて、「いえ、足首はこうです」と手本を見せてくれた。マンツーマンレッスンが始まった。自分では見えない悪いクセを幾つか指摘された。

・足首が伸びたままなのでもっとムチのように柔らかくしならせなさい
・下半身が沈んでいるのでお尻を水面に突き出しなさい
・上半身が力み過ぎなのでもっとリラックスしなさい
・腹筋が緩んでいるので絞めなさい

「こうですか?」「違います、こうです」「こうですね?」「いえいえ、こうです」と熱血指導が続く。滅多にほめない鬼コーチみたい
な方だが、指摘されたことを意識してやってみるとその都度早くなった。

「あのね、ここの筋が伸びていることを意識しなさい」と脇腹あたりを指さした。そして「私のここを触ってご覧なさい」と言う。ご婦人の脇腹を触れることにためらっていたら、「あなたも年配なんだから遠慮はいいの」と私の手を彼女の脇腹に導いた。正直申し上げて、それが伸びていたのか否かは分からなかったが「なるほど」と私。

プールが混みあってきたので 30分に及ぶマンツーマンレッスンは終了した。お礼を言って 2~3往復ひとりで練習した。タイムを計ってみたら 45秒に短縮していた。つい先ほどまで 70秒かかっていたので、4割もスピードアップしたことになる。

水泳を始めてまだ 10日目、褒め上手の水泳教室の M コーチ、それに出会ったばかりの鬼コーチという二人の「師」を得て、私の水泳人生は順調なスタートを切ったようだ。次はどこでどんな学びが得られるだろうか。

そして、私はどこでどのようなお返しをどなたにできるのだろうか。