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孫子に切られた二人の姫

「これは命令である」と上司や上官にいわれたとき、部下は絶対にそれに服従せねばならない。それが組織の秩序を維持する上での大原則である。最近は「命令」という単語自体が死語になりつつあるが、組織は「命令」とその「遂行」によって成り立っている。

そうかと言って「黙って俺に従え」という一方的な命令が許されるわけはなく、上司にも説明責任はある。だが、戦場においてはいちいち説明しておられないこともあるので、日頃から基本的な方針を部下に周知させておかねばならない。

命令よりも弱いものが「依頼」「打診」「提案」「お願い」などである。上司としてはその指示が「命令」であるのかそうでないのかをはっきりさせよう。そして「命令」通りに部下が動かなかった場合は罰せねばならない。厳しい言い方だが、部下の感情や意思に関係なくやらせねばならないのが「命令」である。

「兵を百年養うは、ただただ平和のため」であると説いた孫子。
強い軍隊は平和を維持するために必要で、周囲の諸国に好戦的であってはならない。では、「兵を百年養う」とはどのようなイメージなのか。それを物語るエピソードをご紹介しよう。

ある時、孫子は呉の国王に謁見した。孫子が書いた著書を読んでいた呉王(ごおう)は、孫子の実力を試すため、宮中の女官たち180人を兵に見立て、孫子に軍隊を指揮させることにした。

軍人でもない女官を王の前で鍛えるとは、さぞかし孫子もやりにくかったことだろう。だが孫子はそれを引き受けた。
まず180人いる女官を二隊に分け、王が溺愛する姫二人をそれぞれの隊長に任命した。孫子は軍令、つまり軍のルールを定め、違反者は罰すると宣言し、鉞(まさかり)を手にもった。

そして、いよいよ孫子は太鼓を打って号令を発した。だが、女官たちはこういう動きに慣れてないのか、笑っているばかりで孫子の指示を無視した。孫子は呉王に詫びた。
「呉王様、申し訳ございません。私の軍令が明らかでなく、申し渡しが部隊にゆきわたりませんでしたのは、あきらかに将たる私の罪です」

孫子といえども一回で成功するわけではない。
もう一度軍令の意味を女官たちに説明した。そして再び太鼓の号令を出した。しかし、女官たちは、またもや動こうとせず、ただ笑ってばかりいる。孫子はふたたび呉王の前に進み出てこういった。

「すでに軍令は明らかであるのに、兵が規定通り動かないのは、隊長の罪であります」

そして、二人の隊長を斬ると宣言した。二人の隊長は呉王が溺愛する二人の姫だ。

あわてた呉王は「二人を斬らないでくれ」と懇願したが、孫子は、「私はすでに君命を受けて将となっております。将たるものが軍中にある場合には、君命であってもお受けしないことがあります」

そう言って二人の隊長(姫)を、持っていた鉞(まさかり)で斬ってしまった。

響きわたる二人の悲鳴に飛び散る鮮血。呉王は青ざめた。女官たちも皆、青ざめた。
孫子はもう一度全員に軍令を説明し、別の女官を隊長に任命した。
孫子が三度めの太鼓を打って号令を発した。女官たちは、命令通り整然と行動した。その統率のとれた機敏な姿をみて呉王は、孫子が用兵に優れていることを認め、将として招きたいと申し出た。

このエピソードが伝えるものは何だろう。
ひとつは、軍律の重要性である。もうひとつはその維持のためには大切なものを失うこともあると言う教訓だ。愛する姫を一瞬にして二人も失ってしまったが、かつてないほど強い軍律を手に入れることが出来た呉王。
組織に規律をもたらすのは一人の将で充分である。ひとりの将が最強であれば、組織はおのずと強くなる。