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サラリーマンとして会社を手玉に

※文中、敬称略。

「チャンスの女神は前髪しかない」という。その心は、すれ違ってから振り返っても後ろ髪がないから。

和僑会の創設者・筒井修いわく、「通りすがりの女神の前髪をつかむような器用な芸当は私にはできない。できることといえば、女神さまが通りそうな道に穴を掘っておいて、そこに落ちてくれるのをひたすら待ちつづけること。泥くさいけど、それが一番確実な方法だよ。そして、ひとたび穴に落ちた女神さまは、一生離さないつもりでつかまえておく。私が80年代前半に単身で香港に移住したのも、いまから思えば女神さまを待ち伏せするためさ」

百貨店バイヤーという立場にあった筒井は、40歳で香港に渡った。
海外事業部の責任者という立場である。貿易業務や旅行コース開発、流通業の起ち上げなど、ひとりで何役もこなした。そんな筒井のもとに、3年後、人事部から一枚の辞令が届いた。

「人事異動による、貴殿に帰国を命ずる」とある。

「冗談じゃない、誰がそんなことを決めた。せっかく香港で立ち上げた事業が軌道に乗りつつあるときに、おめおめと日本になんか戻れれるか」筒井はその場で辞令を破り捨てた。

即刻、日本に電話を入れ、人事部長にかけあった。部長はひとことこう言った。「俺の考えではない。決めたのは社長だ」

・・・なに、社長直々の発案だと・・・

「動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし」高杉晋作を評した伊藤博文の言葉である。
筒井の行動も雷電のごとく早かった。翌朝一番のフライトで日本にもどり、社長の出社を待って直訴した。

「何しにきた?」が第一声だった。相手は財界でも名の通った大物経営者だ。毎日分刻みの予定をこなす中、ひとりの社員がアポもないまま人事に楯突いてきたのだから虫の居所が悪い。

「日本に戻れという今回の辞令に納得できません」
「何を言いたいんだ」
「私は(日本に)帰りません」
「どういう了見でそういうことを言っている」

相手の迫力は想像以上だったが、筒井の気迫はそれを上回っていた。なぜなら、「どうしてもダメならこの会社を辞める」と腹をくくっていた。くくった人間は強い。
私をこのまま香港で働かせることが会社のためである、コンコンと説く筒井。
「なんて厚かましい男だ」という表情でみていた社長だが、徐々に、
「こいつの言うとおりかもしれんな」「こんなに香港や中国に精通している人間を日本に呼びもどすのは得策じゃないな」と思い始めたようだ。
「好きにせい」と短く言い渡し、社長は外出する準備を始めた。

社長室を辞すとき、筒井は社長にむかって「ありがとうございました」と深々とお辞儀をした。その右手は自然にガッツポーズになっていたが、社長はそれに気づいていない。

人事部に行き、部長にあいさつした。

「おかげさまで香港にとどまることになりました」
「なに?そんなはずはないだろ。役員会でも決まったことだ」
「たった今、社長とお会いしてきました」その場で人事部長は社長室に内線を入れた。
「好きにさせてやれ」 社長はそう伝えたらしい。

自分の人生計画や将来ビジョンを実現するためには、大手百貨店の海外駐在員という名刺を存分に活かして海外基盤をつくる。
名刺の力に頼らずに勝負するときがいずれくるが、少なくとも10年は大会社の名刺パワーを活かしたい。
そんな筒井のしたたかな個人戦略が大企業の人事をくつがえした。

池を泳ぐ鯉ですら水面に浮かぶ葉を動かす。かたく決心した男児が、国や世界を動かせないはずがない。ましては会社のひとつやふたつ動かせないでどうする。筒井のそうした考えは30年たった今も変わっていない。

今日はここまで。

「車検のコバック」の小林社長の昨夜のスピーチで得たインスピレーションは来週お届けする予定です。