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続・人生が落語

●昨日のつづき。

酒と博打と遊女におぼれ、天衣無縫、やぶれかぶれ、人生そのものが落語だった古今亭志ん生。そんな彼が唯一、人を感心させたのが芸の熱心さ。道楽三昧しても稽古は忘れなかった。

●その結果、還暦をすぎてからは、彼がそこに存在するだけで一個の”芸”を見る思いがしたというから、こればかりは誰もかなうわけがない。
当人いわく、呑む・打つ・買うの三道楽は「免許皆伝」。貧乏神とは「礼状が束でくる」ほどのつき合いだったという。

●落語家がウケに入るとどうなるか。
かつて、トップクラスの落語家にとって最高の収入源はお座敷だった。
一流料亭での酒宴に呼ばれて落語を演ずる。客は、政界、官界、一流会社の社長、相撲取り、戦時中は高級軍人などからも呼ばれた。
一席を終えると、こうした客たちと差し向かいで盃を酌み交わしたりした。志ん生の場合は双葉山とも差し向かいで呑んで競い合ったが、負けている。
毎晩、数件を掛け持ちして料亭を回る。ギャラも飛びぬけて高く、今の貨幣価値で一晩で100万円は稼いでいたという。そんな夜が連日続くわけだから、志ん生にもみるみる金が入ってきた。

●のちに、志ん生と一緒に「昭和三名人」の一人に数えられる8代目・桂文楽。彼をよく知るファンは、「文楽は、お座敷」と評した。座談もうまく、芸達者。文楽の真骨頂は座敷芸にあったというのだ。

●100を超えるネタを誇る落語家もいるほど、ネタの多さは誇りになるなか、文楽は限られた演目しかやらなかった。
それを極限まで練り上げ、寸分たがわぬセリフを寸分たがわぬ時間の中にきっちりおさめるワザは正確無比の機械のようだった。
それでいて、泣きの場面の熱演が聴衆の胸をうち、名人芸を印象づけた。「泣きの文楽」とも言われているほど、泣かせるネタを好んだ。

●対する志ん生は細かいミスは気にしない。セリフも時々忘れる。興が乗ってこれば40分やる噺でも、乗らないと5分でやめてサッサと高座を降りた。
だが、そんなときでも最後のオチまでキチンともっていって場内を大笑いさせるから、客は誰も気づかない。

●志ん生の場合、居眠りも芸になった。
酒の呑みすぎで噺の途中で寝てしまったときには、それも芸だと思ってみんなで見守ったという。ようやく気づいた客がこう言った。

「おい誰か。風邪をひかしちまうぞ、何か掛けてやれ」

ふと目ざめた志ん生は顔をこすりながらこう言った。
「噺をするのが、どうも面倒になっちまいまして。ええ、なんですなア、今日は手踊りでもひとつやりましょう」と踊ってヤンヤの喝采を浴びた。

●そんな文楽と志ん生だから何かにつけて比べられる。まるで対極にあるかのように言われる二人だが、私生活でも交流があった。仲が良かったのか悪かったのか、こんなエピソードがある。

志ん生の生活が困窮していたある時期、志ん生は次女を文楽に売ろうとした。名目は養子縁組、その代償として志ん生に5円が支払われることになった。ところが、途中の駅で娘が泣き叫んで動かなくなり、この養子縁組はお流れとなっている。

●それほどまでに貧乏だった志ん生は、ライバルである文楽からも、たくさん借金している。そのたびに一応、質種のようなものを持って来る。だが、どれも出所不明の怪しげな骨董品ばかりだったらしい。
見る見るうちに文楽の自宅には、志ん生がもちこんだ骨董品で埋まってしまった。共通の友人は「文楽の家に行っても、志ん生の家にいるようだった」という。

●そんな文楽だから、必要に迫られて骨董の目利きができるようになり、ついには骨董が趣味になった。そして少しだけ志ん生にやり返している。
以前、50銭の借金のカタとして志ん生が持ってきた古い額(サイン色紙)があったが、志ん生が大出世して名人の地位を揺るぎなくした後、文楽はその額を自宅の客間正面に掲げた。

そして文楽は、来客が来るたびに披露して悦に入った。
「これはネ、美濃部(志ん生)がネ、貧乏していたあのころに持ってきたもので・・」

●志ん生がそのウワサをきいて驚いて、「並河(文楽)、額を返してくんな。借金は何倍でも何百倍にでもして払うから」と哀願しても、文楽は「いえ、たとえ何万が何十万でも、この額だけはお返しするわけにはいきません。なんてったって、とうに、質流れの品物だもの」

●志ん生の孫(長男の娘)が女優の池波志乃さん。志ん生が好んで通ったおでん屋が湯島の「多古久」で、店の壁には、中尾彬・池波志乃夫妻の三社札が貼ってあるそうだ。

★多古久 http://r.tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13008517/

●自分が亡くなる2年前に妻・りんが亡くなった。

下手をすれば「人生が落語」ではなく、「人生に落伍」しそうだった美濃部孝蔵が、昭和の大名人・古今亭志ん生になれたのは、りん夫人のおかげだった。
そんな夫人の死を大いに悲しんだ志ん生だが、気丈にも葬儀ではあまり泣かなかったという。

●その翌日、文楽が亡くなった。
ついにそこで志ん生の我慢が切れた。また借金できる相手がいなくなった寂しさか、はたまた文楽の葬儀を借りて、最愛の妻をおくったのか、志ん生は人目をはばからずに号泣した。

止まらない涙の意味はだれもしらない。