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焦って嘆く社長

●菅直人氏(63)が総理大臣になった。
いままで何度もトップの座に近づいてはその都度チャンスを逃してきた菅氏にとって、待ちに待った総理のはず。あるいは、あきらめていた総理の椅子かもしれない。
洋の東西を問わず政治家の栄枯盛衰を見ていると、一度の失敗で一巻の終わりになる人と、何度失脚してもかならず這い上がってくる人がいる。

いったい、その差は何なのだろう。

●「あのぉ、ちょっとお聞きしたいのですが」と遠慮がちに若い男性が近寄ってきた。
セミナーのあとの懇親会でサンドイッチをつまんでいた私は、口をもぐもぐさせながら「どうぞ」と返事した。彼は言いにくそうにこんな話をはじめた。

・・・私は周囲から若いと言われることが多いが実はもうすぐ40歳になる。もう若くなんかない。父親から会社を受けついで社長になったのは6年前のこと。そのころから自分はまだ若い、まだ時間がある、まだリハーサルだと思って甘えていたのかもしれないが、40歳にもなって自分はまだ何もなしとげていない。周囲の同世代が立派な経営者になっているのをみて、内心で猛烈に焦っているんです。自分だけどんどん取り残されていくような気がして。・・・

●私の言葉を待っていたのか、その後しばらく沈黙した。

何を申し上げてよいのか分からなかったのでもう一切れのサンドに手を伸ばしながら、「あ、そうですか。それで?」と言った。

優しくない私の言葉に彼は一瞬ムッとしたようで、こちらに文句があるかのようにこう続けた。

「武沢先生は Wish を書き出せとか大きなビジョンを描けとかおっしゃるが、今の私がそれをやれば、ますます焦る気持ちが強まるのではないかということです。こんな私でもWish Listや経営計画は本当に必要なのですか?」

●”なに言ってるんだよ、こんな忙しいときに”と思いながら、こう返答した。
「あなたの気持ちが分からぬでもないが、社長なら社長としてやるべきことをやるのが当たり前じゃないですか。その結果、もしあなたが焦るのならどんどん焦ればいいじゃないですか。焦って焦って悔し泣きしてもいいんです。キリストだって悔い改めと懺悔は新しい信仰生活を始める上ですごく重要だと言っているし」

「・・・」

「ただね、経営者に雌伏(しふく)はつきものですよ。すべてのことには時があるのですから」とも申し上げた。

●雌伏とは、【将来に活躍の日を期しながら、しばらく他人の支配に服して堪えていること。「─10年」⇔雄飛。】と広辞苑にある。

三国志の劉備玄徳は、自分の太ももについてしまったぜい肉を見てなげいている。
以前までの自分は、戦場で戦うために毎日馬を乗り回していたから、ぜい肉などなかった。だが今は、戦争嫌いの劉表の食客として、平穏な日々をおくっている。かつての”中国を統一したい”という私の野望はいったいどこへいってしまったのだろう、と愚痴っているわけだ。

それが世に言う「髀肉の嘆」(ひにくのたん)。太ももの肉を嘆いたことからこの故事が生まれた。

●「だから、あなたの今の気持ちは、劉備玄徳の【髀肉の嘆】に近いのかもしれない」と私。

「たしかに僕もぜい肉が目立ち始めました」と初めて笑顔を見せる彼。

「焦ることになるのか、落ち着くことになるのか分かりませんが、とにかく社長として今日言われたことは全部やってみます」

がんばって欲しいと思う。

●彼と別れたあと、自宅で念のために「髀肉の嘆」の故事を調べてみたら、知らなかった事実が書かれていた。

劉備が「髀肉の嘆」をしたあと、人生を変える運命の出会いを果たしているのだ。ほかでもない、かの天才軍師・諸葛孔明との出会いである。
やがて、孔明は天下三分の計で劉備を天下人に押し上げていくのだが、それを知る後生の私たちからみれば、「髀肉の嘆」も悪くはないということになる。
今度彼に会ったらその話もしてあげようと思う。

志を見失わないためならば、焦るのも嘆くのも悪くはないようだ。