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燃えよ剣

●社長合宿が終わった昨日、自宅にもどって読みはじめた本が『身の上話』(佐藤正午著、光文社)。中江有里さん(女優・脚本家)が昨年のMyベスト本にあげていたもので、時間を見つけて読もうと楽しみにしていた一冊。

・・・主人公は海沿いの小さな町の書店員・古川ミチル。衝動的に東京へ行き、職場の先輩に頼まれて買った宝くじを持ち逃げすることになってしまったミチル。東京にいる幼なじみの男性のもとに身を寄せるも、宝くじの1枚が2億円の当選券だったことが分かる。それを隠そうとするミチルと、すべてを見やぶっているかのような周囲の反応。
やがて彼女の運命は、彼女自身だけでなく、読み手の想像をも絶する方向に狂いはじめる。
・・・

人のお金(ただしくはお釣りの集まり)で買った宝くじで2億円が当たり、それを周囲に黙り続ける苦しさと怖さ。
最後の最後まで結末がわからず、意外な展開の連続で、一気に読み終えてしまった。ドラマ化か映画化が期待されるハラハラドキドキの物語である。

●中江さんがこれをすすめるのもうなずけるほど面白いが、ミステリー風の娯楽作品ゆえに読後感は爽やかとは言えない。

その点、読みものならば歴史上の人物を扱った小説が好きである。最近では、お正月に読んだ『燃えよ剣』(司馬遼太郎)が良かった。
主人公は新選組の副長・土方歳三(ひじかた としぞう)である。

●江戸時代末期、京都を守るために新選組が発足した。内部の権力闘争に勝って権力を握った近藤勇が局長となり、幼なじみの歳三は副長の座に就く。その後、近藤勇の右腕として京都の治安警護維持にあたる。
有名な池田屋事件では、池田屋の周りを固め、後から駆けつけた会津藩、桑名藩の兵を池田屋に入れず、新選組ただ一隊の手柄を守った。
当時、無名の新選組の勇名をとどろかせるための処置であり、歳三らしい冷静な機転とされる。

●新選組を強くするために考えられることは何でもやった歳三。
常に新選組の規律を隊士に遵守させ、規律を破った隊士に対しては例え幹部級の人間であろうと切腹を命じた。その結果、隊士たちからも恐れられた。そのため、新選組隊士の死亡原因第1位は切腹であった。

また、脱走者は切腹または斬殺後見せしめにすることもあった。自らを「信長の生まれ変わり」と評したこともある歳三。ついたあだ名は「鬼の副長」。
だが、戊辰戦争で近藤勇と袂を分かったあと、上野、奥羽、函館と転戦するうちに「温和で、母のように」慕われていく。

●武蔵国・多摩郡石田(いしだ)村(現在の東京都日野市石田)に生まれ、喧嘩好きの野生児のような歳三が、京都で鬼の副長になり、戊辰戦争では周囲に慕われていく。そのプロセスを描いた『燃えよ剣』も一気に読み通した一冊だが、同時に数十箇所の付箋がついた。その中から選りすぐりの箇所をご紹介しよう。

●喧嘩の勝ち方

歳三は、喧嘩や合戦の前には必ず詳細な現場地図を書いた。喧嘩に勝とうとするならば、喧嘩をする地形を書き、そこに敵の配置具合などの情報を書き込んでからでないと戦いを始めなかったという。
多くの相手はそんなことはまったく気にせずに戦うわけだから、すでにこの時点で勝負が決まっていたのかもしれない。歳三の剣術は確かに強かったが、剣道の腕前だけでいえば新選組の中だけでも歳三以上に腕の立つものが何人もいたと言われる。だが喧嘩や合戦の前の現場視察、敵情視察を重んじた結果、稀代の喧嘩上手、いくさ上手と呼ばれるにいたった。

●しかも歳三がすごいのは、その地図情報を部下にも覚えさせたら、それをサッサと燃やしてしまうところにある。いつまでもそんな地図や情報にこだわらない。なぜなら、それらは刻々と変化するものだから。そのあたりの考え方も鮮やかだ。

●和泉守兼定(いずみのかみ かねさだ)

山南敬助(やまなみ けいすけ)が「浪士組」(後の新選組)結成のうわさをききこんできた。かねてよりれっきとした武士になりたかった歳三や近藤勇にとっては飛び上がって喜ぶべき耳よりの話である。
「浪士組」への加盟を決心した歳三がまっさきにやったことは親族への金の無心。「将軍、大名がもつような名刀を買いたい」と、100両という大金を義兄からもらっている。

●近藤(勇)が名刀「虎徹」(こてつ)をさがしたように、歳三は天下の名刀「和泉守兼定」を探し求めた。

「がんばれ社長!」東京オフィスがある東京港区の愛宕下には当時、刀屋が並んでいた。百両を手にした歳三は、くる日もくる日も「兼定」を探すために愛宕下に通ったが、やがて浅草の古道具屋でそれに出会う。「兼定」を入手し、愛宕下で砥がせ、ついにその切れ味を実地に試す機会がやってくる。それは辻斬り退治だった。
『燃えよ剣』の表現を借りれば、「歳三が振り下ろした兼定が相手の右面に吸い込まれ、骨を割り、眼球が飛び出てあごが沈んだ」という。

明らかにいままで喧嘩で人を斬ってきたときとはまるで違う斬れあじだったのだろう。その「兼定」を腰にさして勇躍京都入りしたとき、すでに武州の歳三ではなく、太平の眠りに呆けた多くの武士でもない本物の武士になっていたはずだ。

●その後、新選組が最も活躍した京都の町町で、「兼定」がどれだけ活躍したことか。

「弘法筆を選ばず」と言うが、武士は刀を選ぶ。それは目的遂行と護身のために欠かせない道具だから。
では、今を生きる社長は何を選ぶのか、私は何を選ぶのか。目的遂行のために欠かせない道具って何だろうかと、しばし読書を離れて考えたものである。

●幕末にあっては薩長中心の討幕派も徳川側の佐幕派も、互いの大義名分を掲げて戦った。当然のなりゆきとして論客が活躍した時代でもある。
そんな中で口数少なく己の剣にのみ生きた土方歳三の生き様は、今も我々の生き方になにかの啓示を与えてくれているようだ。

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