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変わっていく予感

仮のお店、「ニューデリー」があったとしよう。
このお店は、カレーライスとビーフステーキをミックスさせた「カレーライステーキ」が人気で、中国地方で12店舗ほどを展開し、将来は株式公開企業になろうとしている。

この会社の子安社長は、今年の年度方針発表会で今期最重要テーマとして「最高の顧客満足の実現」を掲げた。
社内の各部署では、顧客満足の実現にむけてどのような仕事をすべきかを1ヶ月のうちに数回のミーティングをかさね、議論を深めてきた。

各部署から「顧客満足実現計画書」が提出されたのだが、それらのレポートを読んだ子安社長の顔は曇っていた。
「ダメだ、また作文大会になっている」と感じた。

例年、社長室では各部署から提出された「顧客満足実現計画書」を冊子にとりまとめ、関係各部署の主任以上全員に配ってきた。
それを受け取った者は、当然読む。まず真っ先にそうしたことの効果が出てきたのは、社員のレポート作成力の向上だった。
わずか3年前には、まともなレポートが書ける人がほとんど皆無だったことを思うと隔世の感がある。

この会社「ニューデリー」では、過去3年間、毎年最重要テーマを掲げてきた。
 3年前…基本の徹底
 2年前…報・連・相、そして情報の共有
 1年前…ITでできることは皆ITで

こうした「最重要テーマ」の横断幕や看板を制作し、本社の会議室やセントラルキッチン、倉庫などに掲げた。各店舗のバックヤードにはイラスト入りのポスターまでが張られていた。

だが目に見えるほどの効果がないまま、それぞれのテーマは過ぎ去っていった。
「なぜなんだろう。どうしたら、計画したことが実行されていく社風が作れるのだろうか」と子安は考え続けた。

そんなある夜、自宅で好物のシングルモルトを傾けながら子安は、ある雑誌記事に目を止めた。東京のある中小企業が、委員会なる組織を上手に運用し、課題解決に役立てているという記事だった。

「そうかぁ、既存の組織だけでなく、テーマごとに委員会やプロジェクトチームやタスクフォースなどを縦横無尽に使いこなしていけばよいんだ」

翌朝、子安は総務人事部長と、若手ホープの栗木社員をよびだした。
そして次のように思いを告げた。

「社長直属の組織として “最重要テーマ実行委員会” をつくりたい。委員長は社長の私が兼務するが、事務局長に栗木君の力を借りたい。委員会の活動としては、月一回の程度のミーティング運営と各部署からの計画書や報告書のチェックなど、月間20時間程度の仕事になるだろう。また、総務人事部長にお願いしたいことは、勤務評価表の改訂だ。委員会内における貢献度合いも査定の対象にしたい。もちろん、各部署ごとの最重要テーマに向けた取り組みがどの程度進捗したのかも評価の対象に加えたい。その原案を一週間程度でとりまとめてほしいのだ、どうだろう」

若手栗木がまず動き出した。現場を巡回し、リーダーの声を聞いて回った。同時に顧客満足向上に対する社長の本気さも伝えた。それだけでなく、栗木が所属する総務人事部が率先して顧客満足に向けての新たな、そして着実な取り組みを開始したのだ。

チェーン本部にかかってくる電話には、総務人事部のスタッフが対応するのだが、今までは、「はい、ニューデリーです」とか「もしもしニューデリーですが」という電話の出方だった。
それを、「毎度ありがとうございます。カレーライステーキのニューデリーです」とした。

こんな丁寧な電話の出方、最初は舌がもつれるようで言いにくかったが、さすが若いスタッフが揃っている。一週間もしないうちに全員が徹底できるようになった。
だが、総務人事部のオフィスで仕事をする子安社長が電話にでるときだけは「はい、ニューデリーです」のままだった。

「社長だけが残った・・」と、栗木は思った。だが躊躇もした。

「社長の電話の出方にまで注文をつけて良いのだろうか。そもそも社長自ら電話に出てもらうこと自体が問題なのに・・・」と。
だが、新入社員の山崎女子が一辺のメモ用紙を持って社長のデスクの前に立った。

「社長、お願いがあります。電話の出方について総務人事部としてはこのメモ用紙のような出方で徹底したいと考えています。今後、もし社長もお電話にでていただけることがありましたら、このようにお願いできませんでしょうか」

社長の子安は恥ずかしそうに頭をかきながら、「毎度ありがとうございます。カレーライステーキのニューデリーです、だね」と小声で念をおした。
同時に内心では、栗木社員を事務局長とする委員会組織の勝利を予感した。笛吹けどだれも踊らなかった社長一人による陣頭指揮体制が、変わり始めた瞬間でもあった。

ニューデリーの挑戦、まだまだ続く。