日本の鎌倉時代に伝わってきたといわれる中国伝来の禅書『無門関』(むもんかん)は、禅の公案集である。今日の問答集のようなものである。有名なものから無名のものまで四十八の公案が納められているが、そのなかに修行僧・徳山(とくせん)のこんな話が載っている。
餅をくれという徳山に対して、「餅を買ってどうする?」と餅屋の婆。徳山は、「腹の足しにする」と答えると、「そなたのどの心が腹の足しを求めているのか答えられたら餅を売ろう」と言った。修行僧・徳山は答えることができず、餅を買えないまま店を出る羽目になった。
自分のどの心なのか・・・。徳山は婆さんの問いに答えられない自分の修行の甘さを恥じ入りつつ、「絵に描いた餅は、飢えを満たすことはできない」と店を出た。
餅屋に来ていながら自分の不覚で餅が買えなかった徳山。私はその逸話が印象に残っていて、それが今日の「絵に描いた餅」の語源だとずっと思っていた。
ところが昨日、別のことで調べものをしていたら、その 1000年も前の三国志の時代に「絵に描いた餅」の語源があることを知った。三国志といえば二世紀から三世紀にかけての魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の時代である。激しい武力衝突と政治的駆け引きが百年続いた時代である。
諸公は躍起になって人材獲得に熱をあげた。特に魏(ぎ)のリーダーだった曹操は誰よりも人材獲得に精を出した。そんな魏(ぎ)の国には「選挙莫取有名、名如画地作餅、不可啖也」という言葉が語りつがれていたらしい。
意味するところは「人材を発掘し、登用する際にはその人物の評判だけで採用してはならない。評判など絵に描いた餅のようなもので食べることができず、役に立たないものである」という意味である。
「絵に描いた餅」の例えが人の評判に使われていたとはおもしろい。