9月 7日(日曜日)未明。
「お父さん、ちょっといい?」と次男が私をゆり起こした。外はまだ暗く、時計をみるとまだ 5時を回ったばかりだ。
「お、なんだ、もう出かけるのか。早いな」と私。「いや、違うんだ。ゆうべからずっと腹の具合が悪くて」と下腹に手をあて、苦痛に顔をゆがめている。「痛くて横になっていられない」と言う。
「ゆうべの回鍋肉(ホイコーロウ)があたったかな?」と私。週末は私が料理をつくることになっていて、昨夜、回鍋肉と茄子の酢揚げ、卵とじ中華スープを作ったのだった。
「いや、料理は関係ないよ。夕食のずっと前から下腹が張っていて、痛くなったのは夜中の 1時ごろから。今しがた気分も悪くなって吐いちゃった」「どこが痛い?」「この辺」素人ながらにも、すぐに虫垂炎(盲腸)だと判断できた。
その場で 119番電話した。
若い男性の緊張感あふれる声がした。「はい、119番です。救急車ですか?消防車ですか?そちらの場所はどちらですか?」「息子がはげしい腹痛で苦しんでいます。この時間に診療してもらえる病院を知りたいのですが」「わかりました。救急車は必要ないのですね?」「はい、必要ありません」相手も少し緊張感を解いた声になり、「電話番号を言いますから控えてください」と教えてくれた。
救急病院を紹介してくれるところを紹介してくれた。そこに問い合わせると、「X 病院に受け入れ体制があり、今、状況を伝えましたので、すぐに保険証をもって行ってください」といわれた。“X 病院か。聞いたことはあるがどこにあるのだろう?”と思って調べると比較的近い。徒歩なら 25分、車なら 10分といったところだ。
「救急車じゃないの?」と聞く息子に、「うん、タクシーにする」と返事した。ふだんから車を運転しない私は、かつて長男の腹痛のときに救急車を呼んだことがある。そのときも真夜中だった。周囲の人が驚いて電気をつけたり、起きだしてこられるのが申し訳なく、よほどのことがないかぎり夜中に救急車を呼ぶまいと心に決めていた。ましてや今は、日曜の早朝である。安眠を妨害するのはしのびない。
家内はたまたま用事で実家にもどっていて不在だった。連絡するのはもう少しあとにしよう。まずタクシーを呼んでおき、それから身支度することにした。
「お電話ありがとうございます。○○タクシー、配車センターの△△と申します」応対が丁寧なのは結構だが、急いでいるときにこれでは冗長だ。119番みたく手際よくやってほしい。
「大至急、一台回してほしいのですが」「ありがとうございます。大至急で一台でございますね。このお電話ですと武沢 信行様のご自宅でいらっしゃいますね?ご住所は○○市、××区、△△町三丁目で・・・」「はいそうです。すぐに来られますか?」「そうですねえ~、はい、割合近くに一台おりますので 10分ほどもあれば到着可能かと思いますが」「では、なるべく早くお願いします」「かしこまりました。すぐに手配いたします。お電話ありがとうございました。担当の△△が確かにお承りました。またのご利用を・・」
ブチッ、と切った。マニュアルトークも結構だが、こちらの語気から空気を察してほしい。すぐに洗面と身支度を済ませた。息子はどんな姿勢になっても痛みが和らがないようで布団の上を何度も転がっている。
タクシーで X 病院に着いた。夜間緊急受付のドアからなかに入ると、受付に年配の男性が二人いた。そこで再びイライラさせられることになる。
「先ほど、救急センターから電話が入ったと思いますが、武沢と申します。息子が腹痛に苦しんでおりますので、診てやっていただけますか」「武沢さん、あ、はいはい、聞いています。では、まずこちらの問診票に必要事項を書いてご提出ください。あちらにソファがありますので」やけに鷹揚というか、のんびりしている。
「問診票はすぐに書きますから、まず息子の様子を先生に診ていただくことはできませんか?」「まずは問診票を書いていただかないと受付できませんので、さきに書いてください」「患者は緊急なんですよ」「ええ、いま医師の先生は救急の患者さんを診ていらっしゃいますし」
こんなところで押し問答していてもラチがあかないので、息子と私はソファに座って問診票を書いた。A4の紙を裏表つかっているので 4ページもある。書いているうちに息子がトイレに走り、嘔吐していた。
受付に問診票を提出しながら、「息子があんな具合です。なるべく早く診てもらいたいのですが」と訴えると、「皆さんを順番に診させてもらっています。それに今、医師は救急の方を診ていますので」とまったく動じない受付男性。
(皆さん順番に)と言う。気になって脇の小部屋をみると待合室に三組ほど先客がいた。「あの三組の方の後になるということですか?」「はい、そうです」「そんなことで本当に息子の身体は大丈夫なんですね?」と私。
完全に来る病院を間違えた。以前、長男がかかった病院は、夜間の緊急外来の患者はまず一人の医師がすべて面接し、血圧と問診をした。そのあと、ふたたび待合で待たせた。たったそれだけのことで本人と家族の安心感がまるで違う。この病院にはそうしたシステムがない。本来は緊急外来を受け付けてはいけない病院なのである。
こんなことなら救急車を呼ぶべきだったか。小一時間後、息子が呼ばれた。医師の部屋に行くと、若い男性が座っていた。医師だと思ったので深々と頭を下げたが、大学生のインターンとおぼしき若さの助手だった。いろんな質問をしたあと、「血液と MRI の検査をしてよろしいでしょうか?」と息子と私の顔を交互に見ながら聞く。私は「良いもわるいも、先生にお任せします」と言った。次に、多少年配の男性が出てきた。今度こそドクターだと思ったら、こちらも助手だった。ガリレオに出てくる栗林先生(渡辺いっけい)をもう一段頼りなくした感じの男性で、インターンと同じ質問をくり返したのち、すぐにいなくなった。
息子の顔色がだんだん白くなり、脂汗が出てきた。血圧は上が 90、下が 60まで下がった。
「私が去年お世話になった A 病院なら今ごろ手術をしているか、ひょっとしたら手術を終えて病室にいるかもしれない。すまない、息子」内心で、この病院に連れてきた自分を詫びた。いっそのこと、今から A 病院に電話してみようか、とも考えたが下手に動くと病状が悪化するかもしれない。マンダラ手帳に貼ってある仏像を拝み、手を合わせた。
ベテランの女性看護師が医師チームにひと声かけた。「先生の許可を得て、さきに検査を済ませておきましょう」とでも言
ったのかもしれない。なにしろ看護師は、患者を毎日みている。待合にいるひとりひとりの様子をうかがいながらどの程度、急を要するかが分かるのだろう。ようやく息子の血液検査と MRI 検査が始まった。
その後、ようやく医師があらわれた。虫垂炎の疑いが濃厚で切開手術と入院が必要であること。手術の予定がすでにいくつか入っているので、息子の手術は今日の午後か夕方になること。それまでの間は病室で痛み止めと栄養補給のための点滴を打つことをすすめ、私は同意した。ようやく病室に運ばれ、ベッドに横たわったのは午前 8時を回っていた。タクシーで病院に来てから 2時間後のことである。息子はよく耐えたと思う。私もよく怒りに耐えた。
この話には妙なオチがついている。
緊急対応に憤りを感じた X 病院だが、 T さん、S さんなど、女性看護師の対応は完璧といえるほど素晴らしい。実にこまめに病室に足をび、そのつど優しく、手際よく必要な処置をしたり、情報提供をしてくれる。看護師に関しては A 病院より上かもしれない。看護師によって支えられている病院にちがいない。
ということは、こちらとしては「緊急のときは A 病院」「急がないときは X 病院」というような使い分けが必要かもしれない。もちろん病院は医師の技術力や人間力、医療に関する施設や機器などが一番大切な点であることは承知しているが、仕事をこなす院内システムの力や、看護師の力も相当に大きいことがわかった。
午後 3時、全身麻酔による手術が始まった。手術室まで見送った私は病室で待つことにした。手術室前のソファが人で一杯だったからだ。4時になって、家内が入院に必要なものを一式そろえて病室に来た。5時少し前にベッドを引っぱる音が聞こえてきた。手術を終えた息子が戻ってきたのだ。酸素マスクやモニターが装着されて物々しかったが、息子の意識はもどっていた。「お父さん、息子さんが無事に戻られましたよ」と看護師の明るい声。息子は目を閉じたまま点滴がつながった右手でアームレスリング握手をしてきた。私もぎゅっと手を握りかえした。
朝の 5時から続いた緊張は夕方の 5時になってようやく解放され、自分がなにも食べていないことに気づいた。外に出ると日が沈みかけていた。一杯の牛丼を無心にたべた。