あなたならではの価値観とか信条を紙に書いてください、とお願いすると多くの人がなかなか書けない。
どうしたのですか?と聞くと、
「別に私はそれほどの価値観や信条がない普通の人間なので・・・」
と自分を卑下する。
謙虚さではなく、本音でそう思っておられるのだ。
そもそも”普通の人”なんているのだろうか?
人は皆、固有の存在であり、その人ならではの経験や学習、技能、思考・思想があると思うのだ。DNAや指紋と同じく、世界をさがしても同じ人は二人といない。
実は私自身も比較的最近まで自分を”普通の人”だと思っていた。仕事はそこそこ優秀かもしれないが、人間としてはそれほど取り得がない”普通の人”だと思っていたのだ。
だが、「がんばれ社長!」をやり出してからは、そうでないことを読者から教えられたように思う。
最近、こんな話があった。
札幌非凡会の二次会で男性経営者が横に座り、こう言う。
「武沢さん、あなたの講演も良かったが、もっとあなた自身のことを聞かせて欲しい。きっと子供のころか若いころ、普通ではない経験とか教育を受けているはずだ」と。
いやぁ、面映ゆい。
特別な経験や学習をした覚えがないのだが、この男性は引き下がらないどころか、こうオドス。
「武沢さん、”卑下も自慢のうち”と言いますよ。しゃべり過ぎも良くないが、しゃべらなさすぎもいかがなものか。何かひとつでもよい、思い出してくれませんか」と。
小さい頃のいろいろなことを思い出したが、そういえば、母親がいつも言ってた口ぐせをを思い出した。
それは、『人は人、自分は自分』というものだ。子供のころ内向的で気弱だった私を鼓舞するためにいつもこの言葉を私に言って聞かせた。
となりの家にテレビが入ったときにも、『よそはよそ、うちはうち』と言われた記憶がある。
あなたは普通だと思っていても、あなたならではの信条や価値観というものがきっとあるはずだ。それを思い出してみよう。