早朝のふとんの中で苦しくなって目が覚めたS(55才、会社社長)は、次の瞬間、「ウッ」とうなり声をだし我が胸を押さえた。心臓の異変だとすぐにわかった。
幸い、救急車で運び込まれたのは循環器系では日本有数の病院で、しかも当直医が循環器の医師だった。適切な処置がすぐになされたため、初日のヤマは越えた。だが予断は許さない。
12日間にわたって昏睡状態が続いた。その間、妻や長男が病院側に呼ばれた。留学中の次男も緊急帰国していた。
集中治療室の照明のまわりに蝶々がとんでいる。ぼんやりとした意識の中で、「へぇ、最近の病院は顧客満足のためにこんなサービスもはじめたんだ」と思っている自分がいた。幻覚をみながらも会社経営を思うところがSらしい。
次に意識が戻ったとき、看護士さんがベッド脇で歓声をあげた。
「あ!生きてる、奇跡だ」かけつけた担当医までもが、「よく助かったなぁ」と言っている。
どうやら自分は助かったらしい。
話したいことがある、聞きたいことがある、だが、すぐには会話ができなかった。家族や医師と会話するための文字板を押そうとしても目的の文字を指せず、自分の親指ばかりを押している。
「床ずれ」もひどい。皮膚の表面はカサカサに乾燥し、ベッドで足をトンとさせただけでそこから出血する。
人間の体って、食べることと運動することで維持できていたことを今さらながらに思い知った。
翌月、Sは退院し長男の結婚式に間に合った。
本当に奇跡的な生還と退院だった。一年に一度使うことがあるかどうか、といわれる人口心肺機をつかったが、この装置をつかって退院できる人は少ないらしい。
見舞いに訪れた武沢に向かってSはこうつぶやいた。
「もう10年前になるかなぁ、あなたに言われて新卒の学生を採用しはじめたが、今、彼らが居てくれるから私が倒れても会社は支障なくやれている。彼らと妻のおかげだ。今ごろ感謝しているようじゃ遅いけどね、ハハ。ぼくは信仰心は薄いほうだが、今回の件では、自分が助かったというよりは、何かに助けられたとしか思えない。この命のつかいみちがまだあるのだぞ、と教えられたように感じる」
大好きな酒もゴルフもやれなくなったSだが、生きるということの価値と重みを実感する毎日が始まっている。
修羅場をくぐった人は強い。社長を成長させる要素として、倒産(の危機)、入獄(の危機)、死(の危機)の三つがあると言われる。
闇から出てきて光のありがたさを知ったS社長の新たな経営者人生がスタートしたのだ。