「いきおい、が大切です」
と語るは、書道家の大橋春陽先生。
先生の助言はこう続く。
「力みすぎてはいけません。力を抜いた状態でいながら、勢いとしなやかさが必要なのです。剣の達人がしなやかで勢いのある剣さばきをするのと同じく、書の道もそれに相通ずるものがあるのです」と。
場所は、『がんばれ社長!書道教室』だ。
「がんばれ社長!」書道教室
http://www.e-comon.co.jp/ctcs/index1.html
先生は、今回の課題文字を黒板に書き、まず生徒に自由に書かせる。
私はお手本をほとんど無視し、気ままに書いた。文字通り自由奔放に書いた。墨がにじんだり余白がなくなったりして、我ながら下手くそな一枚が完成した。
次に、先生のお手本を横に置き、かぎりなく忠実にお手本通りに書こうと努力した。
自由に書いた一枚目にくらべ、3倍から5倍の時間をかけた。別人のように進歩した。それを自慢げに先生に見せると、朱筆をたくさん入れながらこう言われた。
「武沢さん、ていねいに書こうとして力を入れすぎましたね。力を入れると筆の勢いが出にくくなります。ていねいに書くことと力を入れて書くこととは別ですから。筆の運びがしなやで勢いがあるという点では一枚目の方が上です。」
ドキッとした。私が尊敬する人物の一人・丸山敏雄師のことばを思い出したのだ。
師は、今日の「倫理法人会」の創始者であり、倫理の実践を日本中に広めた昭和初期の啓蒙家でもある。同時に師は、書家としても名高く、『書道芸術』なる書道語録を残している。
一部ご紹介しよう。
・世の中にたのしみは多い。しかし書の楽しみに優る楽しみは、あろうとも思われない。
・書は心画であります。心の絵であり、心操の投影であります。心が紙の上に躍り出ているのが書であります。
・私は、いつも申し上げております。「強い字でなければだめです」と。強い字という意味は、力学的に強い力をもって書いた字という意味ではありません。(中略)真実は、強い腕力で書くから強い字が書けるのではなくて、練り鍛えた強い精神力を傾けて書く時、はじめて強い字が生まれるのです。
・強い心とは、どんな心でしょうか。純一無雑、清浄無垢、明朗雄大、熱烈果敢、火にもとけず水にも溺れぬ不動不磨の至誠心、これを至心と申します。その至心の結晶こそ、まさしく書の源泉であり基盤であります。
・ひたすらに手本の美しさ、雄渾さ、気高さに引きつけられて、雑念どころか我あることもうち忘れ、時間のたつことも、さむさも、あつさも、うち忘れて、手本の書と一つになってしまいます。これが本当のけいこであり、自ずからなる滅私の錬成道なのです。
勢いとしなやかさが必要なのは書だけではない。ビジネスでも経営でも、人の一生の生き方でもそれらが大切だと思うのだ。
訪中をキャンセルしたため、明日からの連休は相当ヒマだ。
よし、読書と書道で滅私の錬成に明け暮れてみよう。